哀しき血脈~紅い菊の伝説3~
 夕暮れの街角を黒いSR400が走り抜けていく。その大排気量単気筒の爆音があたりに響き渡っている。
 SRを操る男は美しが丘署の前にバイクを滑り込ませるとサイドスタンドを立ててエンジンを切った。黒いヘルメットを右のバックミラーに被せると美しが丘署の自動ドアをくぐった。
 黒いサングラスに受付の若い女性の姿が映る。彼は他を見ることもなくその女性に近づいた。
「刑事課の小島さんはいるかな?」
 男はサングラスを外す。
「お約束でしょうか?」
 若い女性は愛嬌のよい笑顔を振りまいて応える。
「いや、無いんだが、横尾雅也がきたといえばわかると思う」
 横尾はカウンターに肘を突いて辺りを見回した。広間になっている片隅では運転免許の更新の人たちがテレビ画面に映し出されているビデオ映像を見つめている。
 若い女性は内線電話を刑事課に繋ぐと小島の所在を確認した。
「横尾様?」
 若い女性の澄んだ声がホールに吸い込まれていく。横尾は不意を突かれたように彼女の方に振り返る。
「小島は生憎出ておりまして、いつ戻るかはわからないそうです」
 若い女性は申し訳なさそうに言った。
「そう、それじゃあ言伝を頼もうかな」
 横尾はそう言うと黒い革ジャンのポケットから一枚の紙片を出し、そこにボールペンで何かを書くと若い女性に渡した。
「宜しく頼むよ」
 横尾はそれを渡すと美しが丘署を後にした。 横尾はフリーランスのライターだった。数年前までは大手新聞社の記者だったが、あることをきっかけとして今の身分になった。主にオカルトめいた記事を書いている。
 それには理由があった。
 彼は妻と一人息子を失っていた。
 それも無残な形で…。
 あるとき帰宅した横尾を待っていたのは血まみれの室内と引き裂かれた家族の死体だった。部屋の鍵は全て内側から掛けられ、完全な密室状態であった。
 その中で何があったのかはわからないが、血塗られた部屋の壁にはおよそ人間のものとは思われない爪で引き裂かれた箇所がいくつもあった。
 そして彼の家族の遺体には内蔵がなかった。
 警察はこの残忍で不可解な事件に戸惑いながらも捜査に当たったが、未だ犯人に繋がる有力な情報さえ手にすることが出来ないでいた。そのときの捜査員の独りが美しが丘署に来る前の小島だった。
 横尾はこの事件のショックから立ち直ることが出来ず、職場を去ることになった。
 それでも彼の心の傷は癒えることがなかった。それどころか、幻聴や幻覚に悩まされるようになっていった。そこで聞こえるはずのない声が聞こえ、そこで見えるはずのないものが見えるようになってきたのだ。それらは口々に彼を死に誘い、彼を怯えさせた。
 統合失調症と診断された彼はそれから二年ほど入院生活をする羽目となった。当初は鉄格子が嵌められ、トイレが仕切り板なしで一緒になった病室に入れられた。恐怖のあまり他者に危害を追わせるほどにまで悪化していたからだった。
 やがて彼は落ち着きを取り戻していったが、それと同時にこの世には存在しない筈の存在に興味を持つようになっていった。
 家族を奪った犯人はこの世のものではないように思えてきたからだった。
 退院後、彼はフリーランスになり家族を奪った犯人を追うためにオカルトめいた事件を追うようになっていった。だが、そのような記事は一般紙には受け入れられず、今は小さな出版社の専属記者のような身分になっていた。
 そんな彼が美しが丘に姿を見せたには、この一年で起きた事件が彼のアンテナに引っかかったからだった。
 拘留されていたシリアルキラーが拘置所内で自殺した事件、脳を失って死んでいた女子生徒の事件、それらは彼にこの場所が普通ではないことを告げていた。
 そしてこの死体遺棄事件である。
 この遺体から血液が抜かれたあとがあるという情報は既に横尾の手にあった。
 この土地には何かある。
 彼の勘がそう告げていた。
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