HAPPY CLOVER 3-夏休みの魔物-
 学校の授業とは違い、一講座は90分と長い。にもかかわらず、講師の巧みな話術であっという間の90分だった。

 予備校は問題の解き方をメインに授業が進む。しかも講師の話が面白い。そして受講生は皆真剣だ。

 私には何もかもが刺激的で、とにかく一生懸命先生の話を聞き、ノートを取った。

 終わった途端、受講生はみんな出口へと殺到する。私はのろのろとテキストや筆記道具を鞄にしまい、教室を後にした。

 キョロキョロしながら玄関に向かうが清水くんの姿が見当たらない。

 仕方がないのでとりあえずトイレで用を済ませて、もう一度玄関のほうへと戻ろうとした。

「ねぇねぇ、一緒にご飯食べに行かなーい?」

 近くで、甘ったるい鼻にかかった声がした。トイレは人通りの少ない廊下の先にあるので、廊下の話し声が反響してよく聞こえるのだろう。

「いや、連れがいるから無理」

 返事を聞いて私は思わず立ち止まった。



 ――清水くん!?



 背中に氷が滑り込んだかのように心の中がヒヤッとした。

「えー友達? ユウも一緒に行きたーい」

「彼女と一緒だから無理」

 胸焼けを起こしそうな猫なで声に心の中がムカムカしたが、清水くんのそっけない声が聞こえた途端、私の顔にひそかな笑みが浮かんだ。

 ――彼女!

 この優越感は半端じゃない。それは私のことだ、と叫びたいほどだが、ここは我慢してこっそり廊下を窺った。



 ――な、なんじゃ! あの女!!



 目に飛び込んできたのは、清水くんの後ろ姿とその腕に巻きついたミニスカートの女子。

 隙間なくぴったりとくっついた二人の影はすぐに廊下を曲がって見えなくなった。

 私は慌てて廊下を走る。

 ロビーの手前で速度を落とし、深呼吸してゆっくり歩き出した。

「舞、こっち」

 清水くんが軽く手を上げて私を呼んだ。周りの視線が自分に集まっている気がして、緊張しながら彼の元へ近づいた。彼の隣にはミニスカートの女子が澄ました顔で立っている。

 私はその女子を見ないようにしていたが、彼女はわざわざ一歩前に出てきて私の視界に無理矢理入ってきた。

「はるくんの彼女?」

 正確な発音は「かのじょお~?」と尻上がりに伸ばす。とても私には真似できない話し方だ。

 仕方なくミニスカートの女子に向き合った。メイクを施した目元がキラキラと輝いて見え、私とは正反対の、いかにもおしゃれを頑張っている女の子だ。

「はるくんって、こういう子が好きなんだ?」

 上から下までじろじろと遠慮なく私を見回すと、彼女はふぅとため息をついた。

「なんかがっかり~」

「お前、もうどっか行け。じゃあな」

「いやぁん! ユウ、一人になっちゃうー。どうしたらいいのー?」

 清水くんはそれに答えず私の腕を掴んでユウに背を向けた。

 が、すぐに立ち止まる。私は目を上げて「あっ!」と短く叫んだ。



「舞の彼氏?」



 スラリと背が高い男の人が玄関の前に立ちはだかっている。目鼻立ちの整った顔で、とりわけ男性にしては目が大きい。

「諒一兄ちゃん」

 私がそう呼びかけると、私の従兄である高橋諒一(たかはしりょういち)は口元に笑みを浮かべた。

 清水くんは驚いて立ちすくんだままだ。

 諒一兄ちゃんは清水くんをじっと見つめて、またフッと笑う。



「なんかがっかり」



 ――ちょ、ちょっと、いきなり……どういうこと!?



 動揺した私は、諒一兄ちゃんと清水くんを見比べるために、カッと見開いた眼球を三往復させた。

「そっちこそ、誰?」

 清水くんの声はとげとげしい。なんだかわからないけどマズい展開になっている。

「あ、あのね、こちらは、えっと……」

 慌てて説明しようとする私の頭上にポンと優しく大きな手が置かれた。

「舞の従兄の高橋諒一です。よろしく」

「清水暖人です」

 よろしくとは言わないあたり、清水くんは絶対「よろしくしてもらう気はない」と思っているだろう、などとどうでもいいことを一瞬考えてしまって、プッと笑いたくなる。

 しかし笑う暇はなかった。

「舞が予備校の夏期講習を受けるって聞いたから、お昼一緒に食べようかなと思って来たんだけど、友達が一緒だったんだね」

 ――今、「友達」をめっちゃ強調したよね?

 心の中で密かに突っ込むのとほぼ同時に清水くんが口を開いた。



「友達じゃなくて、舞は俺の彼女ですから」



 ――うわあぁぁぁ!

 ――「俺の彼女」って……。

 ――ひぇーーー!!



 チラッと隣に立つ清水くんの顔を見てみると、いつもより眼光が鋭く、頬はこれまで見たこともないくらいに緊張していた。途端に私の浮ついた心はぴしゃりと凹まされる。

「どっちでもいいよ」

 諒一兄ちゃんは余裕の空気を漂わせて私たちに背を向けた。

「お昼、おごるよ。二人とも、ついて来て」

 ――え、え、えええええ!?

 私と清水くんの反応など気にせず、さっさと玄関を出て行く諒一兄ちゃんの背中を茫然と見つめる。「二人とも」ということは、私と清水くんと諒一兄ちゃんでお昼ご飯を食べるわけ?

 ――ひぃ!

 最初から険悪としか言いようのない雰囲気なのに、まともにご飯なんか食べられるのだろうか。胸がドキドキして背中に嫌な汗をかいていた。

 腕を引っ張られて我に返る。清水くんはしかめ面のまま諒一兄ちゃんの後を追った。私も引き摺られるように玄関を出た。

 何気なく後ろを振り返ると、ミニスカートのユウがあっけに取られたのか、だらしなく口をポカンと開けてさっきと同じ場所に佇んでいた。
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