魔法の手
Ⅰ 幼馴染
「どれにしようかなあ・・・」


誰にいうとはなく呟いて
パソコンのモニターに写る様々な形のチョコレートを見ていたら
ふと幼い頃の懐かしい思い出が蘇ってきた。
チョコレート職人さんがその技と力量を競うTV番組を
お隣に住む幼馴染と見ていたときの会話だった。


『もしもボクの手が魔法の手だったら・・・』


そう呟いた幼馴染の彼は 沢木孝太郎。
彼は私と同じく一人っ子で、1歳年下。
幸太郎一家がお隣に引っ越してきたのは
私が3歳のとき。たまたま母親同士が同じ年で
気も合ったことから、家族ぐるみの付き合いになった。


赤ちゃんの幸太郎はクセのあるふわふわした髪の毛が
子犬みたいでとってもかわいかった。クリクリの目も柔らかいほっぺも
りーたん、と呼ぶ舌足らずなところもかわいくて大好きだった。
姉弟のように毎日一緒に遊んで過ごした。


幸太郎が小学校に入学してからは
母親たちがパートで仕事を始めたので
学校から帰ると どちらかの家で二人一緒に
母親たちの帰りを待つようになった。


そんな毎日に変化があったのは
私が中学に進学してからだった。


部活を始めたので 帰宅時間が母親より遅くなった私は
もう母親の帰りを待つ必要がなくなった。
そうでなくても中学生になれば一人で留守番くらいできる。
それは孝太郎とて同じだった。
スポーツ万能だった彼は6年生になるとサッカー部に入り
毎日練習に励んでいた。当然 母親よりも帰宅は遅い。
互いの家の行き来ももう終りね、と少し寂げに
でもしみじみと母が呟いた日から数日がたったある夜。
夕食を済ませた後に孝太郎がひょっこり顔を見せた。
私と一緒に勉強をさせて欲しいというのだ。
「絶対にリコちゃんの邪魔はしないから」と頭を深々と下げた孝太郎は
翌春の中学受験のために今から本格的に勉強をする、とのことで
その夜から毎晩のように訪ねて来るようになった。


もちろん私の両親に異論はなく大喜びの大歓迎だった。
我が家は女の子の一人っ子。
父母は孝太郎を実の息子の様に可愛がっていたからだ。


孝太郎の両親もそれは同じだった。
父親は弁護士で多忙な日々を送っていたし
母親はパートでピアノ講師をしていたけれど
孝太郎が5年生になってからは 自分の教室を持った。
生徒さんは幼児から社会人までと幅広く
社会人の生徒さんのレッスンは夜の時間になる。
孝太郎は作り置きの食事を自分で温め
ひとりで食べて、その後もひとりで時間を過さねばならなかったからだ。


そんな孝太郎を不憫に思った私の母が
我が家で夕食を一緒するように勧めたけれど
日によって部活の終る時間が違うし帰宅時間がわからないから、と言って
断わられた。12歳の子どもらしからぬ遠慮は
自分の食事を支度してくれる母親への思いやりでもあるのだろう。
「泣かせるわねえ」と私の母は寂しく笑った。


そんな状況を寂しいとか嫌だとか
孝太郎は一度も口にしたことは無い。
けれど分かる。
いくら男の子だからといって、11や12の子どもが
それを寂しいと思わないわけがないのだ。
私と一緒なら分からないところを教えてもらえるから、なんてのはただの口実。
そんな必要は無いほど孝太郎は成績もよかったのだから。
本当は誰も居ない家で一人で居るより
明りが灯り、人の気配と温もりの感じられる場所にいたかったに違いないのだ。


ほんの2、3時間を我が家で過すことで
孝太郎が安心して寛げるのならそれでいいと
私も、両親も思っていた。
私に至っては、いっそウチの子になればいいと思った事もある。
そのくらい、彼は優しくて素直な子だった。


とはいえ、孝太郎とは喧嘩もたくさんした。
本当の姉弟と変わらないほどの時間を
一緒に過しているのだから当然だ。
けれど それ以上に笑いあう幸せな時間を過ごす間に
私に芽生えた親愛だけでない、ほのかな感情―――
それが恋だと気づくまでにさほど時間はかからなかった。

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