涙と、残り香を抱きしめて…【完】

「安奈ちゃん…」

「あの時のあたしは、蒼君に助けられたの。
だから、今度はあたしが蒼君を助ける番なんだよ。

今度の事で、蒼君をデザイナーから外さないでってママに頼んだの
ママも蒼君の才能を潰したくないって言ってた。
だから、大丈夫だから…」


安奈の気持ちは嬉しかった。でも、同時に情けなくて何も言えなかった。


俯く俺に、安奈は「あたし…余計な事した?…怒ってる?」と心配そうに聞いてくる。


「いや…そんな事ないよ。有難う…」


そう言って顔を上げた俺のすぐ眼の前に、安奈の顔があった。


「な、なんだ…?」

「あたし…蒼君が…好き…」


一瞬、何が起こったのか分からなかった…


安奈の赤い髪が揺れ、柑橘系の甘酸っぱい香りが鼻先を掠めたその時、唇に感じた温もり…


それは不意打ちのキス
ぷっくりと弾力のある安奈の唇が俺の唇を塞ぐ。


「や…めろ…」


我に返り安奈の体を押し戻すと、更に強い力で俺にしがみ付き離れようとしない。


「なんでこんな事…安奈ちゃんが好きなのは、水沢専務…」

「違う!!」

「えっ?」

「仁君は彼氏なんかじゃない!!」

「な、彼氏じゃないって…じゃあ、なんで同棲なんか…」

「同棲じゃないの…仁君は…あたしの…
父親なの」

「父…親?」


それはおそらく、俺が今まで生きてきた中で一番、衝撃的な出来事だったと思う。


「嘘だろ?」

「ホントだよ。仁君はあたしの実の父親」

「じゃあ…凛子先生の別居している旦那って言うのは…水沢専務…」


俄かには信じられず半信半疑でそう尋ねると、俺から眼を逸らす事無く安奈がコクリと頷いた。


「そんな…」


こんな話しを聞いて動揺するなって方がおかしい。


よりにもよって、俺が誰より尊敬している凛子先生の旦那が、あの生けすかない水沢専務だったとは…


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