結婚白書Ⅳ 【風のプリズム】

 心のありか


電車を降りてからかなり歩いたはずだと記憶していたが 今日はそれどほ

遠いと感じることもなく 見覚えのある住宅地へと足を踏み入れた

これまでは父に連れられて来た道を 今日は一人で歩いていた

あの頃 街路樹の木々はまだ細く頼りなかったのに 幹も太くなり

枝は大きく張りだしている 

新緑の季節にはたくさんの葉が生い茂るのだろう

この辺りに最後に来たのはいつだっただろう 

小学校の高学年だったか 中学生になっていたか

どちらにしても迷うことなくたどり着いたのだから 僕の記憶もたいしたものだ



「おーい こっちだ 早かったね」


「こんにちは 駅からもっと遠かったと思ったんですが 意外と近くて」


「はは……そうだろう 子どもの足と大人の足では違うものだよ」


「お忙しいのにすみません」


「いや 引越しなんて男は邪魔なだけらしい さぁ入って」



父の古い友人である仲村さんを訪ねたのは 東京に帰ってきた翌週だった

桐原の祖父の葬式の折 この春地方へ転勤だと聞いていたので 

忙しいのに会えるだろうかと思いながら連絡をしたところ

家を覚えているなら来て欲しいとの返事で 今日こうして仲村さんの自宅を

訪ねたのだった





「まぁ 賢吾君 立派になって 何年ぶりかしら 

お父さんより大きいんじゃないの?」


「そうですね 会う人みんなに言われます 

今日は忙しいところにお邪魔してすみません」


「いいえ 引越しといっても大層なものじゃないから……4年生になるのよね 

二番目の娘とひとつ違いだったもの

就職活動も大変でしょう ウチも大変だったわ 

なんとか決まってくれてホッとしたら 今度は主人が転勤で もう慌しくて」



仲村さんの奥さんの夕紀さんは 変わらず明るく朗らかだった

女の子だけのお母さんだからだろうかとは僕の勝手な思い込みだが 

穏やかでゆったりとした話し方で 話をじっくり聞いては感心したり 

また 可笑しいと言ってはコロコロと笑う 

この人は苦労などなく人生を送っているのだろうな なんてことを思わせる

ところがあった


挨拶を交わしていると 娘さんたちも顔を見せ それぞれに声を掛けてくれた

親同士が仲が良くても その子供達は同性でもなかなか話しをしづらいものだ 

10代の頃は特にそうで 相手を必要以上に意識して会話らしい会話も

なかったのにそんな年代を過ぎると懐かしさも手伝って 

近況を聞いたり 就職活動頑張ってね と励まされたり スムーズな会話が

成り立つようになっていた



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