金色の陽と透き通った青空

 ――6年前のあの日……。

 「杏樹……。これから俺の言う事を聞いてくれ」

 智弘はずっと考えていた事、そして準備してきた事を実行する為に、一度杏樹と離婚した。
 そして離婚後のそれぞれの戸籍謄本を総帥に手渡し、離婚した事を報告。そして、生まれてくる子供の親権は杏樹側にある事、子供は一切玖鳳家とは関わりを持たない事、玖鳳グループの後継者の権利もない事とする約束を交わし、念書を書いた事を伝えた。
 
 その次に智弘のとった行動は、重役会議で総帥の玖鳳グループ会長の退任要求を提案。
 実は総帥は、高齢と言う事もあり、つい先日の脳のMRI検査で萎縮が認められた。これは、アルツハイマー型認知症の特徴的なものだ。完治と言うのは今の医学では難しいが、薬によって病気の進行を遅らせる事が出来る。退任して、その治療に専念してもらうと言う事を理由に、会長退任はすんなりと重役会議とそして、株主総会でも通過した。
 先日の、智弘が中心となって進めていた、中東支社の石油開発事業部の事態が好転、1億バレル越えの油田を掘り当て会社の業績をグンと向上させた業績や、今までの功績も認められ、会長兼最高経営責任者(CEO)に就任した。
 その数ヶ月後、外部から非常に優秀な大物のCEOを呼び入れ、智弘は玖鳳グループからの一切の経営から手を引いた。

 そして……。
 智弘は杏樹と再婚、海藤姓を名乗る事となった。
 元々杏樹の父の経営していた『海藤リゾート』……。自然環境を保全、保護しながらホテル事業や別荘開発などのリゾート事業を幅広く運営、急成長を遂げた、リゾート事業の大手企業の会社再建を考えていた。
 そして、幼い頃から苦悩の記憶しかない玖鳳家から解放されたいと言う気持ちもずっと心の奥底に抱いていた。
 その為に、海藤姓を名乗ること、杏樹と子供を守る事、杏樹の父の会社を再建させる事。ずっと思い描いていた。

 結婚後姓を変えるという事は、容易な事ではない。家庭裁判所に申し立てをして認められれば変更も可能だが、よっぽどの正当な理由がなくては変更も難しい。また、その為に時間もかかる。簡単に変える究極の方法は、一度離婚して、すぐ入籍する手法だ。また、総帥から杏樹と子供を守る為にも、一度離婚するのが一番だと思った。

 総帥は、ショックも大きかったのだろう……。その後アルツハイマーの症状が加速して、今は、智弘が孫だと言う事も理解出来ないような状況で、特別養護老人ホームで静かな余生を送っている。
 玖鳳グループの最高責任者として君臨していた頃は、いつも険しい表情をして、近寄りがたい非常に冷たい印象しかなかった。だが……。今は非常に穏やかな表情で、杏樹が孫を連れて智弘と一緒に会いに行くと、時々微笑んで、帰る頃には杏樹の手を掴んで帰って欲しくない素振りを見せ、駄々をこねる。
 『おじい様、また会いに来ますね』杏樹がそう言うと、ウンウンと頷いて、そっと手を上げて少し寂しげな表情をしながら別れの挨拶をする。
 智弘は、玖鳳グループの後継者の座を退いた事、そして玖鳳家を見捨てるように改姓して海藤を名乗る様になった事。全て正しいとは思って無いし、祖父を見捨てるようにとった行動は許されない事かも知れないなと心の奥底で思っている。
だが、これしかなかったとも思ってる。妻と子供を守る為、自分の未来の為、家族の未来の為……。自由を手に入れる為……。杏樹も同じ気持ちだろうと思う。

 杏樹と再婚した時には、もう臨月に近い次期だったが、初めての子供が生まれる前までに全て片が付いて智弘はホッとした。生まれて来た子供の可愛さと言ったら……。一瞬で親バカに変身してしまった程。そしてとても嬉しかった。俺の一番欲しかったもの、温かい家族……。この愛する妻と子供を全身全霊をかけて守っていこうと心に誓った。
 
 その後、智弘は猛勉強をして、宅建と2級建築士の資格を取得、軽井沢の中心部に海藤リゾートをオープンさせた。地元密着型の不動産会社だ。先ずは使用されてない廃虚化した土地と別荘のリフォームと整備、それを貸したり販売したり、そして別荘の管理業務も手掛けている。そうやって、ここ数年で急成長を遂げてきた。軽井沢本社は、工藤が右腕となって手伝ってくれてる。東京支社は関谷に一任している。
 
 家具職人を本職にするという道からは逸れてしまったが、あれから休日や時間が出来ると、木工家具製作所に通い、親方からもう一人前の太鼓判も貰い、ガーデンハウスの敷地奥に工房を作り、完成までにはかなりの時間を要してしまうが、なかなかの人気で細々と販売している。ここ最近は注文品の制作が多い。
 家具デザインの勉強もして、家具デザイナーとして、海藤リゾートの顧客から家具の注文も貰う事が多い。その発注はお世話になった家具木工所に一任している。持ちつ持たれつの精神だ。 
 
 杏樹の方は、焼き菓子工房を再開して、杏樹の焼き菓子に惚れ込んで工房で働く事になったパティシェ2名と販売業務担当のパート2名が加わり、賑やかになったし、余裕も出来てネット販売も再開した。
 売上も好調で、ついに”焼き菓子工房アンジュ(株)”という会社も設立、女社長になった。
 もちろん地元のおばちゃん達の、農産物や特産品、乳製品の販売も健在。人がどんどん集まり、セルフ式のカフェもオープンとなり、カフェ従業員2名も増えた。

 今杏樹は3人目の子を妊娠している。もう間もなく生まれる……。暫くはスタッフに一任して、育児休暇に入る予定……。
 子供も増え、智弘はガーデンハウスの隣の広大な敷地を購入、そこに大きめの家を建てた。地元の人からは『森の洋館』と呼ばれて親しまれている。
 その家は、やはりガーデンハウスから伸びる赤いレンガの小道で繋がっている。朝、靄のかかった緑の森の中、小鳥のさえずりを聞きながらガーデンハウスの菓子工房まで歩くのが、杏樹の朝の楽しみらしい。
 途中には小さな川が流れていて小さな木の橋が掛かっており、オールドローズのガーデンアーチのトンネルや、大きなテラコッタに寄せ植えした季節の花々……。ポールに下げたハンギングバスケットの寄せ植え……。少しづつ庭を整備して、今では四季折々の花々が咲く美しい庭となった。
 時々オーブンガーデンの日を設けて、一般に公開もしている。地元の人からは、『森の洋館のオープンガーデンデー』と言われて親しまれている。


 * * * * *


 智弘と子供達が、ログハウスの工房のウッドデッキのガーデンテーブルでお昼のサンドイッチを食べていたら、赤いレンガの小道をゆっくりとあるいてやってくる杏樹の姿が見えた。

「ママーっ」
「ママー」

 お母さんの姿を見付け、子供達はニコニコと手を振る。

「お腹の方も大分苦しくなってきて、長時間立っているのはキツイから、スタッフに任せてきたわ」

 杏樹は片手で大きなお腹を抱え、もう片方の手で腰を擦った。そうして、智弘の座っている木のベンチの隣にゆっくり腰を下ろした。

「そろそろ店の方はスタッフに任せて休んだ方がいいぞ」

 智弘はポットに入っている紅茶をマグカップに注いで杏樹の前に置いた。

「そうね」

 杏樹は紅茶を一口飲んでから、お昼ご飯もそこそこに庭に飛び出していった子供達を目で追いながら、愛おし気に微笑んだ。
 智弘は優しく杏樹の大きくなったお腹を撫で「今度はどっちかな?」嬉しそうに微笑んだ。

「この間の検診でね画像を見せてもらったら、どうやら男の子みたいよ」

 杏樹は智弘の手の上に自分の手を重ねて、幸せそうに笑った。

「じゃあ、男の子の名前を沢山考えて置かないとね。長男が俺の名前の『智』をとって『智希(ともき)』で、次が杏樹の『杏』をとって『杏奈(あんな)』だから、今度は俺の字の『弘』と杏樹の『樹』をとって『弘樹(ひろき)』もいいな」
「あら、それいいわね!!末っ子で両親の名前の一文字ずつをとって、締めって感じもするし」
「何言ってるんだ!!あと2人は欲しいし、まだまだこの子は末っ子じゃないぞ!!」 

 末っ子と言う言葉に反応して、智弘が抗議の顔をして杏樹に言った。

「ええーっ!!勘弁して!!私の年齢を考えて。もう33歳よ。あと2人なんて無理無理」

 これから出産と言う大仕事が待っている杏樹は、気の遠くなるような話しだ。

「欲しいのならあなたが代わりに産んで頂戴!!」
「出来るならそうしたいが……」

 一瞬2人で智弘の妊婦の像を思い浮かべて、一緒になって吹き出して大笑いした。散々笑いあった後に智弘がしみじみと言った。

「あ〜あ。幸せだなぁ……。杏樹と出会う以前の俺って、本当に黒くドロドロと低く垂れ込める雨雲のようだったんだ。今はそうだな、あの大空のように透き通って澄み切ってて、清々しくて……。毎日が充実してるよ。やっと家庭の温かなぬくもりを手に入れた気持ちなんだ」
「私も今とっても幸せよ!そうね……。あの木々の隙間から溢れる陽の光の様に、キラキラとしてるわ。全てが輝いて見える気持ちというか……」

 お互いに見つめ合うと、智弘の瞳には柔らかな表情で微笑んだ杏樹が映り、杏樹の瞳にはキラキラと目を輝かせ幸福に満ちあふれた笑顔の智弘が映っていた。 

「パパーっ、ママーっ、先に川に行ってるね」

 子供達は大きく手を降ると、兄妹手を繋いで小さな小川の方に走って行った。


 ――――キラキラと金色に輝くお日様が温かく世界を照らし、空は雲一つ無くとても透き通った穏やかな日だった。

《END》
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