恋衣 ~呉服屋さんに恋して~


* * *


「十夜さん、ごちそうさまでした。御抹茶も御団子も、とっても美味しかったです」
「ええ。お茶は美味しかったですが、店員さんに少々難アリですね」

 十夜さんは大袈裟に肩を竦めてみせた。
 お会計もあの男性がしてくれたけれど、十夜さんはずっと睨みつけられていた。
 さすがの十夜さんも、至近距離で向けられる威圧的な視線に参ったらしく、終始苦笑いを浮かべていた。
 お店を出ると、空は茜色に染まり始めていた。見上げた十夜さんの頬に赤みが差し、昼間とは違う顔になる。その表情に、胸はトクンと音を立てた。

「少し、冷えてきましたね」

 思ったよりも気温が下がっている。私が軽く腕を抱き合わせていると、十夜さんが身体を屈め、耳元へ唇を寄せてきた。

「肩でも抱きましょうか?」

 低い声で囁かれ、一気に背筋が伸びる。

「い、いいえ。大丈夫です!」

 私が慌てて首を振ると、十夜さんは楽しそうに笑っていた。
 夕焼けの空の下で咲く桜は、うっすらと茜色に染まり、チラチラと舞う花びらは儚い美しさがあった。

 昼間も河川敷ではたくさんの人がお花見をしていたが、今もまだ、辺り一面ブルーシートで埋め尽くされている。夜桜を楽しもうとする人達が場所取りをしているのだろう。

 まださほど騒がしくないけれど、これから昼間以上のにぎわいを見せるに違いない。
 その光景を眺めていると――。

「おおー、風流でいいねぇ」
「きゃっ」

 背後から肩をグイと引っ張られた。無理やり振り返る格好になり、引っ張られた相手を見ると顔を赤くした中年の男性がいた。
 吐き出す息がお酒臭い。既にどこかで宴会が始まっているのか、昼間から飲んでいる人なのか。相当酔っているようだ。

「彼女に何か?」

 十夜さんが私と男性の間にスッと割り入り、壁になってくれる。いつも平然としている十夜さんなのに、声音も瞳も冷ややかだ。
 私には空気が凍り付いたのがわかったけれど、酔っている男性にはわかるはずもない。

「こっちも風流だねぇ。イケメンってやつか? けど女の子の方が……」

 男性は十夜さんを押しのけて私に手を伸ばしてきたが、十夜さんがその手を取った。手の甲が筋張っていて、血管が浮き出ている。力を込めているようだ。

「と、十夜さん……っ」

 私が止めようとした時。

「課長、何絡んでいるんですかっ」

 酔っている男性の部下なのか、若い女の人と背の高い男の人がやってきた。

「ほら、帰りますよ。本当にすみませんでした」
「怪我はないですか? ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」

 酔っている人はいつもこんな感じなのか、女の人は慣れた様子で男性をたしなめ、男の人は丁寧に謝ると男性の腕を肩に回した。

「いやぁ、桜と着物はいいねぇー」

 会社の人達の気も知らず、ほろ酔い気分……いや、泥酔したまま、課長と呼ばれた男性は去って行った。

「変な人じゃなくてよかった……」

 私はホッと胸を撫で下ろした。だけど、隣にいる十夜さんからはまだ張りつめた空気を感じる。

「凛子さん、大丈夫でしたか?」

 私の顔をじっと覗きこむ。深い紫黒の瞳がわずかに揺らいでいる。

「大丈夫です。十夜さんがすぐに、間に入ってくれたので」
「そうですか。それなら……良かった」

 ようやく安心したのか、目蓋を閉じてホッと息を吐いた。

「十夜さんは大丈夫でしたか?」
「ええ……すみません、余裕を無くしてしまいました」

 十夜さんは首裏に手を回しながら気まずそうに苦笑した。
 先ほどの十夜さんはいつもと違う十夜さんではあったけれど、私にとっては嬉しい一面だった。

「ありがとうございます」
「いえ、もう少し落ち着いて対応できればよかったのですが」
「充分、落ち着いていましたよ」
「そんなことありません。いつもこうだ。凛子さんのこととなると、すぐに余裕をなくしてしまう」

 十夜さんは困ったように眉を垂れた。余裕をなくしているのは、いつも自分の方だとばかり思っていたのに。
(では、十夜さんも私と同じ……と言うことですか?)
 言葉には出来ず、十夜さんの瞳を見つめてみるが伝わるはずもなく。ぼうっとしている私の手を彼がそっと掴み取った。そして、先ほどより早く歩みを進め始める。

「と、十夜さん? 急にどうしたんですか」
「凛子さんが可愛すぎるので、これ以上、多くの人に晒したくないんです」
「十夜さん……」

 十夜さんの思わぬ言葉に、頬が緩んでしまう。
(やっぱり私と同じ……そう思ってもいいでしょうか)

「凛子さん、僕達も家でお花見をしましょうか」
「はい……あ、でも十夜さんの家には松の木しかないですよ?」

 十夜さんの瞳が妖しく光る。クイと手を引かれ、前につんのめりながら十夜さんの腕にしがみついた。私を受け止めた十夜さんは身体を屈める。

「咲かせるんですよ、僕が」
「……え?」
「凛子さんの、白い肌に」
「――ッ」

 誰にも聞かれないよう、そっと耳元で囁かれた言葉の意味を理解し、私の頬は既に桜……ではなく、薔薇のように真っ赤な花が咲いているはず。花を咲かせた張本人はクスクスと楽しげに笑うだけ。

「もっ、十夜さんっ!」

 軽くポカリと腕を叩いてみるが、十夜さんが堪えるわけもない。宥めるように頭を撫でられるだけだった。

「家の庭にも桜を植えましょうか」
「……はい」
「そうしていつか、まだ見ぬ家族と一緒に春を楽しみましょう」
「えっ、と……十夜さん……それってどういう……」
「聞かなかったことにしてください。正式な言葉は……また、後日」

 瞳を軽く細め、ほのかに色付く唇に人差し指が当てられる。その仕草に私の胸はキュンと締め付けられた。
 十夜さんの一言一句、聞かなかったことになんてできないけれど。
 今は十夜さんの言うことを聞いて……聞かなかったことに――。


【お花見編・完】



※お花見編は以上です。
その後、家に帰っていちゃいちゃ~なシーンがあり、公開予定でしたが、どう修正してもR指定の規制に引っかかりそうなので(汗)こちらでの公開は控えさせていただくことにしました。
すみません……m(_ _;)m

もし、気になられた方は、私のサイトもしくはムーンライトノベルズさんの方で公開してますので、そちらでお願いします。


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