恋衣 ~呉服屋さんに恋して~


* * *


 次の日も仕事は休みだったので、朝早くから十夜さんを手伝うことにした。

「あのー、この柄の色違いってありますかぁ?」

 露出が高い服装をした女の子が甘ったるい声で十夜さんを呼ぶ。私も手が空いているので行っても良かったけれど、彼女の目は十夜さんしか見ていなかった。
 十夜さんはいつも呉服店に置いているような少し値の張る商品ばかりではなく、もっと気軽に見てもらえるようにと、安価な商品を多く置くことにしたらしい。その甲斐あってか、商店街の時より若い女の子のお客さんが多い。心なしか、昨日より増えている。

「色違いはこちらになります。可愛らしくて人気の柄ですよ」
「人気なんだぁ。私にはどちらが似合うと思いますかぁ?」

 彼女はあつらえていない反物を肩に当てて見せ、十夜さんに顔を向ける。目はパッチリと開かれていて、口もキュッと突き出してアヒルのように形作られている。そんな細かいところまで見てしまう自分は嫉妬の塊だろう。十夜さんには、こんな自分を知られたくない。

「そうですねぇ……」

 だけど、顎に手を当てて真剣に見てあげる十夜さんさえも恨めしく思ってしまう。
 こういったことになるのは始めから予想していたこと。それに十夜さんは仕事をしているのだから。
(そう……ヤキモチを妬かないって決めたのです)
 簡単な手伝いさえできていないのに、ヤキモチなんて妬いている暇は無い。これでは十夜さんに呆れられてしまう。
 私は深呼吸をして心を落ち着けると、さきほどまでの売上の整理を始めた。
 ふと手元に置いた時計を見ると、お昼近くになっていた。
 そろそろ、お母様が来る時間だ。
 結局、昨日は私がボーッとしたまま休憩から帰ると、お母様は習い事を一カ月休むために教室へ挨拶に行くと言って足早に帰った。
 今日は十夜さんがまだ休憩へ行っていないので、私とお母様が二人きりになる時間がある。十夜さんは気を使って早く帰って来てくれるだろうけど……心配ばかりさせていてはいけない。
 精一杯頑張ると決めたのだから。
 心の中でそっと決意を固めていると、先ほどのお客さんは他も見て考えると言って帰って行った。

「お疲れさま」

 帰っていくお客さんを見送っていると、十夜さんのお母様が現れた。

「お、お疲れ様です!」

 なるべく笑顔で。そう思っても頬が引き攣り、自然と身体が固くなってしまう。十夜さんが視界の端で私の様子を窺ってくるのがわかった。

「あ……よかったら、お昼をどうぞ」

 心配をかけないように。しっかりしないと。
 先ほどより意識して笑顔を作り、十夜さんに向かって声をかける。今は店内にお客さんはいない。お昼へ行くにはいいタイミングだった。

「そうね、先に行ってらっしゃい。私が店番してるから」

(私も店番としてここにいるのですけど……)
 些細なことがひっかかり、自虐的に傷付く心。わかっている、役立たずだということは。だから、頑張る。
 私は自分に言い聞かせ、お母様と一緒に十夜さんを見送った。


* * *


 十夜さんは、すぐ戻ると言ってお昼へ向かった。お客さんがいなくなった店内には、私とお母様の二人きり。
(何かお話を……)
 普段から口下手で、自分のことを話すのも得意ではない。こう言った時、妹のシャキシャキした性格が羨ましくなる。
 唇を噛み、どうしたものかと考えていると、店の入り口に女性の二人組が見えた。

「い、いらっしゃいませ」

 現れたお客さんに胸の底から息を吐き、私が声を上げるとお母様が素早く接客へ向かった。
 私も足は一歩出ていたが、少し遅かったらしい。だが、きっとそれでよかったのだ。
 私には知識がない。サポートに回る方が迷惑をかけず、賢いのだ。
 わかっているけれど、動くことさえ遅い自分に悔しくなった。
 やがてお客さんの一人が気に入った反物を見つけたらしく、畳を引いて間仕切りが置かれた簡易的な試着スペースへ入った。

「翠ちゃん、メジャー持ってきて」
「……あっ、は、はい」

 自分が呼ばれたとわかっていながら、返事が遅れてしまった。
 少し返事に間が空いてしまったことで気付いたのか、お母様がこちらを振り返って申し訳なさそうな顔をした。

「あ、ごめんなさい。凛子さんだったわね。つい、ね」
「……いえ」

 私は苦笑しながらメジャーを手渡した。
 お母様もつい言ってしまっただけなのだから。気にすることは無い、気にすることは……。
 必死に自分へ言い聞かしながら、そっと唇を噛んだ。

「じゃあ、凛子さん。これから測った数値を言うから、採寸表に書きこんでくれる?」
「はい」

 お母様がお客さんに反物を合わせ、出来あがりをイメージしながら採寸していく。身丈(着丈)、裄丈(腕の長さ)、袖丈(袖の上下の長さ)、袖巾(袖の左右の長さ)、腰回りを測って前巾と後巾を出すのだ。
 着物には身長に基づいた並寸法というものがあるので、身長・裄丈・腰囲を測るだけでも出来あがるらしい。しかし、人それぞれ長さが違うということで、益田呉服店ではきちんと細かいところまで測る。これは採寸の仕方を教えてもらいながら十夜さんに聞いたこと。
 ここに来て、何度か十夜さんのお手伝いで採寸表に書き込むこともしていた。
 落ち着いてやればきっと大丈夫。私は採寸票とペンを持ってお母様の側へ歩み寄った。

「お名前は山口様、品番は10A-2422の紺色」
「はい」
「さっき身丈は測ったから、おはしょりも入って163ね。裄は66で……次が袖丈……」
「あ、はい」
「袖が65で、次が……」
「あっ……と、はいっ」

 思ったより早い。数字を書くだけだけど、それぞれの部分を頭の中で確認しながら書きこむので、どうしてもモタモタしてしまう。十夜さんの時はそんな風にならなかったのに。
(十夜さんは、いつも気遣ってくれていたのですね……)
 十夜さんの優しさが身に沁みる。
 お母様についていこうと、なんとか頭の中に記憶して筆を進めていく。お母様が全て数字を言い終えた後、私はまだ2つほど追いついていなかった。

「あら、ごめんなさい。早かったみたいね」
「いえ、私こそすみません……でも、大丈夫です」

 書き終えたものをもう一度お母様に見てもらう。お客さんを見ながら、採寸票と見比べ、確認をし終えると一つ頷いてくれた。

「うん、ちゃんと出来てるわ。ごめんなさいね、翠ちゃんのペースで言っちゃったみたい。凛子さんもきっとこれから慣れるわ」
「はい」

 お客さんには出来あがりの日時を伝え、受取は商店街のお店と、こちらの特設会場のどちらが確認する。
 緊張した。それ以上に自分の不甲斐なさを感じた。そして、お母様の中での翠さんの存在感を痛いほど感じた。

「……」

 お客さんを見送り、店内の商品を整えながら頭の芯はどこかボーッとしていた。
 本当はここにいるべき人は翠さんなのかもしれない。私は何もできないのだから。
そんなことを考えていると。

「凛子さん?」
「あ、」
「戻りました」

 俯いていた顔を覗きこまれ、驚いた私は肩をビクリと揺らす。十夜さんの黒曜石のような瞳に、たった一瞬で心の中を暴かれそうな気がした。

「十夜さん……おかえりなさい」

 ふいと顔を逸らそうとするけど、十夜さんに指で顎先を掴まれ、動きを制される。十夜さんは吐息がかかりそうな距離まで顔を近づけると、絡み付きそうな視線を向けてきた。

「と、やさ……っ」

(唇が触れてしまいそうです)
 お客さんはいないし、お母様はお父様から電話がかかってきたらしく店の奥にいた。だけど、いつお客さんが来るかわからないのに。
 十夜さんは、普段人目につきそうな所でこんな風に大胆なことはしない。思わず息を止めてしまう。

「凛子さん、何かありましたか?」
「……な、なにも」
「なかったですか? 本当に?」
「えっと……」
「嘘を吐くと……何するかわかりませんよ?」

 十夜さんの瞳が照明に妖しく光る。私は喉をコクリと鳴らして、小さく頷いた。

「何も、ありませんでした」
「ふむ。今日の凛子さんはなかなか強情ですね」

 十夜さんは肩を落として諦めたようにため息を吐くと、顎先に触れていた指を離した。
 自分の不甲斐なさと翠さんの存在感に落ち込んでいたとは言えない。そんな弱音とも愚痴ともつかないことを言って、十夜さんを嫌な気持ちにさせたくない。
 モヤモヤとしたものを抱えながら、店の奥へ入っていく十夜さんの背中を見送る。すると。

「あ、十夜! 戻ってたのね、よかった。私、これから店の方に戻るから。さっきお父さんから電話があってね、急な用事ができたらしいの。代わりに店番してくるわ」

 そう言いながら、荷物を持ったお母様が慌ただしく奥から出て来た。長いスカートが足に絡みついて動きづらそう。

「そうですか。気を付けて戻ってください」

 十夜さんはそんなお母様を気遣いながら、出口まで見送る。

「お疲れ様ですっ」
「お疲れ様。凛子さんは十夜に遠慮せず、ゆっくりお昼ご飯食べなさいね」

 にっこりと笑ってお母様は帰って行った。
 本当に、十夜さんが昼食へ行くためだけに来たみたい。そしてそれは、裏を返せば私一人じゃ不安だということ……。
 もちろん、今回は急なことだったのでお母様にそんなつもりはないこともわかっているし、昨日今日でできる仕事でもないことはわかっている。
 だけどやっぱり、翠さんだったら……と時折考えてしまう。
(なんだかとても……自分が醜いです)
 翠さんと比べてばかり。鬱陶しいほど比べて、嫌になるほど落ち込んで。馬鹿らしいと思うのに、止まらない。

「では、凛子さん。お昼休憩へどうぞ」
「……はい」
「ご飯の前に、こちらが欲しいですか?」
「え?」

 俯いていた顔を上げて十夜さんを見ると、彼は唇に人差し指を当てていた。艶っぽく瞳を細められ、それだけで私の体温は上がる。キスが欲しいかと尋ねられているらしい。

「ち、違います!」
「違いましたか、それは残念」

 十夜さんはクックッと小さく肩を揺らし、楽しそうに笑った。

「も、もう! お昼へ行ってきます」
「はい。ごゆっくりどうぞ」

 十夜さんに笑顔で見送られて、私は休憩室へと向かった。

< 49 / 58 >

この作品をシェア

pagetop