【完】『海の擾乱』

3 二人連署

行藤が鎌倉へ戻ると事態は一変していた。

それまでどちらかというと風当たりが強く、あんまり芳しくはなかった評判が、裏返したかのように変わっていたのである。

「これはどうしたことであろうか」

留守を任せた藤子や、家来の李義勇に問うてみると、

「頼綱どのと違って厳しいまつりごとをせぬのでは、という望みを、どうも殿に持っているようで…」

「それは違う」

行藤はかぶりを振った。

「現に頼綱どのに二毛作と交易を勧めたのはこの行藤ぞ」

その通りである。

「ただ、寺や神社の荘園から年貢を取り立てるよう差配したのは、まぁ頼綱どのではある」

このときには行藤は反論しとどまるよう説得を試みたのであるが、

「みなに等しく日の光が射すごとく、みなに等しく年貢を納めてもらわねば困るのは幕府であろう」

この一言で押し切ってしまったのである。

(それはいささか)

実行するには時代(とき)が早すぎるように、行藤には思われたらしい。



正応四年、二階堂家の長年の懸案であった信濃守行景の跡目をめぐる争いが、信濃守系の二階堂一門を平御家人とする、執権の直々の裁定で決着がついた。

行藤がいたおかげからか、取り潰しだけは免れたものの、一門で長いこと競ってきただけに、

「これからは、われらの肩に二階堂一門の浮沈がかかることとなろう」

という、すでに古稀を迎えた父の行有の見通しは、少なからず行藤に影響を与えたようである。



正応五年。

その行有が病の床に臥せたのを、行藤はしばらく知らなかった。

行有が知らせなかったのである。

「病の年寄り一人のせいで天下の政事が止まるようなことがあってはならぬ」

という、官僚として長く幕府にあった行有らしい思慮でもある。

あまり親子らしくない親子ではあったが、行藤が引付衆に再任されて喜んだのは藤子と行有で、

「わしはそなたにすれば不肖の父で、何一つ親らしいことはしてやれなんだが、これぐらいはさせてくれ」

というと、初代二階堂行政の代から受け継がれてきた白糸縅の鎧を行藤に授けた。

「これは今は亡き行景どのが、これから二階堂家を盛り立てるのは行藤になろうゆえ譲る、と申してわしが預かっていたものじゃ」

もっともそれで行景どのの家はあのような内訌が起きたのだが、と力なく行有は笑った。

「そなたはあらゆる者から望みを繋がれておる」

それを忘れてはならぬ、といった。

この二日後、行有は卒中の発作が出て世を去っている。

葬儀の済んだ晩、行藤は屋敷に戻ると、人目を憚らず哭いた。

藤子は、震える姿をただなすすべなく見るより他なかった。



正応六年が明けた。

病勝ちの執権北条貞時の名代として椀飯の儀は頼綱が執り行い、無事に正月は来た。

が。

この椀飯振舞の儀が頼綱の命運を、違ったものとしてしまった。

まず。

正月二十日の椀飯振舞の最後の日に、執権御所で突如暴漢となった武士が頼綱に斬りかかる…という事件が起きたのである。

下手人は浅原為頼と同じ小笠原一族の者であった。

「頼綱どのはよほど小笠原一門から恨まれておるようだな」

連署の大仏宣時は他人事のようにいった。

しかも。

行藤も狙われ始めた。

二月には永福寺下の二階堂屋敷に投石の被害があり、この際に藤子をかばった末子の雅藤が片眼を失明するといったことがあったのである。

(石を投げた者が悪いのではない)

よく知らずに石を投げてしまうように仕向けられた世にこそ問題はある。

だが。

「判官さま、このままでは身が危のうございます」

と進言した李義勇は、藤子に願い出て、行藤から拝領した装束を身につけるようになった。

「そなたが危なくなるのでは」

と危惧する藤子に、

「奥方さま、それがしには恩義がございます」

かつて六波羅と新長谷寺で二度も助けてもらった恩がある、というのである。

「それに比べれば、影武者など容易うございます」

李義勇はおだやかな笑みを浮かべ、喜び勇んでいる様子であった。



三月。

執権御所に呼び出された行藤は、連署の大仏宣時からまったく意表をついた言葉を聞いた。

「そなたを連署に、と執権どのが仰せである」

耳を疑った。

無理もないであろう。

二階堂家をはじめ北条家でない御家人は政所執事が最高位で、連署は北条一門からしか選ばれない。

それが。

「連署どの、おそれながら今一度願わしゅう」

「二階堂判官行藤を、連署とすると申したのだ」

行藤は引っくり返りそうになった。

「おそれながら申し上げます」

早口になった。

「連署は慣例により、北条家御一門より一人と決まっておるはずでは」

「だが式目には北条一門でなければならぬとも、一人でなければならぬとも、どこにも書いておらぬ」

行藤は眼を白黒させた。

「次の大評定で正式に決まるゆえ、お心づもりだけは今からお持ちあれ」

大仏宣時はそれだけいうと消えてしまった。

(これは一大事になった)

行藤は頭を抱えた。

どういうことなのか、まったく見当もつかない。

会所を出たところで長崎光綱に出くわした。

「判官どの、いかがなされました?」

顔色がすぐれませぬが、と光綱が覗き込んだ。

「ご心配かたじけのう存ずるが、たいしたことはござらぬ」

光綱は首をかしげたが、行藤はそのまま退出した。



連署の内示を聞いた藤子は驚いて眼を剥いた。

「辞退という訳には参りませぬのか?」

「それではそなたは連署にはならぬ方が良い、と申すのか?」

「位打ちになりかねませぬ」

位打ち。

力のない者を無理に官位を引き上げさせて突き落とす、という一種のいじめで、公卿の世界はよくある。

「ただ、もう決まってしまっておる」

貧乏くじだがどうしようもない、と行藤はいった。

だが。

何か気づいたらしく、

「殿は若い頃、筋の通らぬ幕府ならば壊してしまえと仰せでございました」

一度くらい壊すつもりで、おやりになられるのはいかがでございましょう──と藤子はいった。

「なるほど…壊すつもりで、か」

悪くはないな、と行藤は引き受けることに決めたのであった。
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