HAPPY CLOVER 4-学園祭に恋して-
 朝のチャイムが鳴る。

 舞は掃除を終えて席に戻った。俺も隣に座る。

 担任が教室に入ってきた。開けた戸をすぐには閉めず、後ろを気遣うような視線を送っている。

 ほどなく、担任の後からもう一人、真新しいスーツを着た小柄な女性が教室の戸をくぐった。



「おおおおお!」



 大声を上げたのは田中だ。ヤツは立ち上がり、他の男子も互いに顔を見合わせながら歓声を上げた。女子も「えー!」とか「わー!」とか言葉にならない声を出す。

 俺も思わず息を呑んだ。

 ――……え!?

「今日から二週間、このクラスでホームルームの実習をすることになった小原綾香(おばらあやか)先生だ。彼女はこの学園の卒業生で、現在はH大生。そして妹さんがピアノで有名な小原沙耶香(おばらさやか)さんだ。お前たちにとっては素晴らしい先輩だから、特に進路や勉強方法なども相談に乗ってくれると思う……」

 ――ウソだろ……!?

 途中から担任の声が遠ざかり、俺は壇の下で緊張しながらも微笑を浮かべている教育実習生を食い入るように見つめていた。



 ――サヤカさんの姉!



 田中が俺を振り返った。

「おい、清水! ちょっ、マジで!?」

 俺はあからさまに騒ぎ立てる田中を睨む。何人かのクラスメイトが「なになに?」と興味津々の顔を向けてくるが、そんなものは完全に黙殺した。

 そしてもう一度前方に目を戻すと、教育実習生が俺を見て、途端に目を見開いた。



「あ……」



 彼女の口から小さな声が漏れた。

 俺も彼女を信じられないものを見るような目で見つめていた。

 ――俺のこと、わかるんだ?

 内心の呟きが彼女に届いたのか、驚いた顔が笑顔に変わる。俺だけに向けられたその表情に、俺の心臓は何を勘違いしたのか、勝手に忙しく動き始めた。

 そして綾香さんは担任に促されて壇上に立った。

「今日から二週間お世話になります、小原綾香です。担当教科は英語です。どうぞよろしくお願いします」

 声が昔付き合っていたサヤカさんに似ていて、俺の心にヒヤリとした冷たいものが滑り込んできた。

 ただ、ありがたいことに姉の綾香さんは、サヤカさんとタイプが違う。サヤカさんは見た目からして明るく、例えるならテレビのお天気お姉さんタイプなのだが、綾香さんは可憐な印象の美人だった。例えるなら将来は大女優というところか。

 しかしさすがは姉妹だ。笑うとよく似ている。

 気がつけば、彼女の挙動から目が離せなくなっていた。

 サヤカさんと付き合っていた当時、姉の綾香さんは話に聞くだけの人だった。俺は勝手に冷たい表情をした近寄りがたい女性を思い浮かべていたのだ。

 それが、実物を目の当たりにして、その思い込みがとんでもない勘違いだったことを痛感していた。

 ――めちゃくちゃかわいい人だ!

 美人で頭もいいのに、サヤカさんよりもほっそりとして頼りない感じがある。サヤカさんは自分の姉を「言うことが厳しくて怖い」と評していたが、黒板の前に立つ綾香さんはひたすら笑顔のかわいいお姉さんだ。

 男子は言うまでもないが、女子にも人気が出そうなタイプだと、緊張気味の綾香さんの頬を見て思う。

 ――これは大変なことになるぞ。

 クラス中が熱狂していた。しかも担任まで、いつもよりデレッとした顔になっている。

 俺の胸も不必要に高鳴っていた。

 ――いや、俺には舞というかわいい彼女がいるから……。

 浮き足立つ心を静めようとして、ハッとした。

 おそるおそる隣を見る。

 途端に冷や水を浴びせられたような感覚が全身を走り、背筋を伸ばさずにはいられなかった。

 舞がじっと俺を見ていた。

 眼鏡の奥では、俺の心の真実を確かめようとするかのごとく、瞳をこらしている。

 何もやましいことなどないはずの俺の心臓がドキッと音を立てた。

 いつの間にかホームルームが終わり、田中が俺の横でうるさく喋っているが、ほとんど耳に入ってこない。

 黒板の前にはもう綾香さんの姿はなく、隣の舞は授業の準備をするために鞄の中を探っている。



 夏が終わっていく――。



 開け放たれた窓から見える空はどこまでも高く、ひんやりとした風は秋の匂いがする。だが、季節の変わり目の爽やかな空気に、嵐がやってくる気配を感じた朝だった。
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