HAPPY CLOVER 4-学園祭に恋して-



「自殺。……未遂だったけど」



 綾香先生の声に陰湿な響きはなかった。そのぶん、先生の心の中に広がる闇の深さははかり知れない、と思った。

「マジかよ。サイテーじゃん、ソイツ……」

「あーもう、またつまらぬ話をしてしまった。はい、忘れる!」

「そんなの、無理」

「もう遠い昔の話です。はい、忘れる!」



「忘れなきゃならないのは、先生でしょ。そんなつまんないこと、もう忘れていいよ」



 清水くんの言葉はやけに力強くて、私はガンと頭を殴られたような衝撃を受けた。

 英理子さんが私を心配している。その視線を逃れるように、顔をそむけるが、隠れている私たちにはこれ以上の身動きは危険だった。

「……そうだね」

 綾香先生が答える。

「はい、忘れました! ……って、いつか言えたらいいね」

「世の中にはもっといい男、たくさんいるって。先生ももっといい恋しなきゃ」

 その言葉を聞いた途端、私は驚くほど冷静になっていた。

 なにをほざいているんだ、隣の席の男は。

 できるなら今すぐ出て行って、思い切り罵倒したい気分だ。

 しかし盗み聞きをしている私にエラそうなことを言う権利はない。

 もう立ち去ろう、そう思ったときに、その声が聞こえてきた。



「そういう清水くんも気をつけないとね。女の子に優しくするのはいい心がけだけど、廊下で彼女が泣いてるよ?」

「……は?」



 瞬間的に、私と英理子さんはお互いの目を見て、ほぼ同時に駆け出した。

 まさか……ずっと前から気がついていた!?

 綾香先生の「てへっ」と舌を出しておどけた顔が脳裏に浮かぶ。

 廊下を全速力で走る私たちの背に、かわいらしい小言が届いた。

「こらーっ! 廊下を走っちゃダメ!」

 完全にやられた。綾香先生にはなにをどうやっても敵わない。そんな気がする。

 振り返ると清水くんが追いかけてきていた。

「ちょっ、ふたりとも、待てよ!」

「盗み聞きなんか、してないんだから! ね、舞ちゃん?」

「は、はい。今、偶然通りかかって……」

「そんなわけないだろ。じゃあなんで逃げるんだよ」

「逃げてるわけじゃないの! 急いで作業に戻らなきゃ!」

「わ、私も!」

 しかしすぐに、3人の中でもっとも運動能力の劣る私が、清水くんにつかまった。

「舞ちゃん、ごめん。お先!」

 英理子さんは小さく手を合わせると、スカートを翻して階段を駆け上がっていく。

「さて、と。言い訳は後でじっくり聞かせてもらおうかな」

 私の肩をつかんだ清水くんの手にグッと力がこめられた。

 ドキッとしたが、幸か不幸か、ここは人目も多い廊下。清水くんもそれに気がついたのか、私の肩からすんなり手をおろす。



 ――ああ……。



 あれ、今、私……?

 もしかして、それをちょっと残念とか思ってた?

 うわぁぁぁ! なにそれ、なにそれ。なんだか危険!

 思考は大パニックだが、私の本体はとぼとぼと、清水くんの後ろを少し離れてついていく。

 階段の途中で、堀内くんの描いたポスターが、ひそかに私を嘲笑っていた。
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