カノンとあいつ
昏倒
ф ────ф ────ф ────
「どこに行ってたの?」
気が付いた私に、准が惚けた顔で尋ねる。
いつの間にここに通されたのか、私達はしっくりとお尻に馴染むオーク調の椅子に腰掛け、運ばれてきた飲み物はどのグラスも水滴の結露を浮かせて、私が口を付けるのを待ちくたびれている。
女の子の、不思議そうに私を見つめる瞳……。
蝋燭の青い炎が揺れる度、テーブルクロスの薄紫が、その濃淡を自在に変化させて見せる。
二人の肩越しにはバーカウンターが設えられていて、時折女の人の笑い声が聞こえる。
背の高い鷲鼻のバーテンダーはきびきびと仕事をこなし、間接照明で浮かび上がる19世紀のリトグラフが、店の品格を引き立てている。
そしてあの心地良いカノンの調べは、たった今も四年前の煌めきそのままに、まるで時空を飛び越えて私達を祝福し続けている。
「君、それでよかった?」
モスコミュール………
覚えててくれたんだ。
「ねぇ准、わたしの名前…忘れたとか言わないよね?」
「忘れないよ」
私の両方の目を一つずつ確かめるように、優しく覗き込む准。
「…それに証拠だってあるんだから」
准があの時みたいに差し出す水色の大学ノートには、地球を中心にした惑星の軌道も、へんてこな太陽も描かれていない代わりに、今度は、毛筆で書かれた二文字の漢字が三つ、丁寧に並べられていた。