・*不器用な2人*・
8月に入ってから野球部の活動はなくなった。

浅井君は朝から夜までバイトを入れていると井上君から教えてもらったけれど、私は私で家族水入らずの時間を過ごしていたから、ショッピングモールへ行く足も遠のいてしまっていた。

梶君は学習塾で忙しく、一緒に遊ぶ機会はほとんどなかった。

お盆にあるお祭りにはみんなで一緒に行こうと誘われていたおんで、それだけが1番楽しみなイベントだった。

久し振りに隣り町のショッピングモールへ赴いたのは、お祭りで着る浴衣を買いに行こうとめぐちゃんに誘われたからだった。

駐車場に着くと、めぐちゃんは汗一つかいていないくせに「暑い、最悪」と唇を尖らせた。

特設された浴衣の売り場へと向かう途中だった。

トイレの前を通りがかった際に、急に怒声が聞こえてきた。

「井上、お前いい加減ウザい!!」

聞き覚えのある声に、私より先にめぐちゃんが足を止めた。

男子トイレの前に設置されたベンチ前には、浅井君と井上君が向かい合って立っていた。

通りがかる家族連れが、何事かと彼らを振り返っている。

「ウザいじゃなくて、俺は浅井のこと心配して…」

声を荒げる浅井君に対して井上君はいつものように落ち着いた様子だった。

「だから一々心配されるのが嫌なんだって!」

浅井君は駄々をこねる子どものように床を踏みならし、周りの視線を一切気にしていない。




「浅井君。」

見かねためぐちゃんが声を掛けると、井上君を睨んでいた浅井君がフッと表情を変えた。

「こんなところで何騒いでいるの?」

めぐちゃんに訊ねられ、浅井君は井上君へと視線を漂わせる。

井上君もさらに視線を漂わせながら無言を貫いている。

「井上が、俺のこと様子おかしいって言ってうるさいからちょっと怒っただけ。」

浅井君の言葉に隣りに立っていた井上君がムッとした表情を浮かべる。

「うるさいじゃなくって…。
こっちはお前が辛そうにしてるから心配して声かけてるのに、何その言い方。」

井上君が浅井君の肩をガッと掴むと、浅井君もすぐに井上君の胸ぐらを掴み返す。

「別に辛そうになんてしてないから。
心配してくれなんて頼んでないから。」

小学生男子と親のような言い合いに呆気にとられながら、私もめぐちゃんも彼らを止める方法が見付からなかった。

しばらく井上君の胸を締め付け続けていた浅井君は、やがてパッとその手を離した。

井上君も反射的に浅井君の肩から手を離し、驚いたように彼を見下ろす。

「浅井…」

そう声を掛けかけた井上君を、浅井君は軽く壁へと突き飛ばすと、すぐ傍にあった男子トイレへと駆け込んで行った。




「俺、帰る。」

井上君が不機嫌そうに表情を歪ませて言うと、めぐちゃんが繕った笑顔のまま「気を付けてね」と手を振った。

彼が自動ドアの向こうへと消えて行くと、めぐちゃんは大きく溜息をつく。

「井上君の怒った顔、初めて見た。
表情少なすぎるよあの人。」

めぐちゃんの言葉に、私も無言で頷く。

無口、無表情、無愛想。

そんな言葉がよく似合う人だとこの間からずっと思っていた。

その分、屋上で1度見た笑顔がやけに印象に残ってしまったけれど。

「浅井君、夏休みに入ってからずっとあんな感じだよね。

普通に明るく振る舞ってくれてるけど、毎日のようにお腹壊してたし。」

そう言うめぐちゃんの横顔は、淳君のことがあった時と同じ、何処か不機嫌そうなものだった。

「めぐちゃんって、まだ浅井君のこと…」

私がそう聞くと、めぐちゃんはすぐに「全然」と答えた。

「今は恋愛とか、全然考えてないや。」

めぐちゃんはそう言うと、浴衣売り場へと向かって行く。

私も慌ててその後を追った。




夏祭りの日。

梶君と一緒に待ち合わせ場所へ行くと、もうほとんどのメンバーが到着していた。

男子全員の私服を見るのは初めてで、別に珍しくもないラフな格好をしている彼らがやけに新鮮に見えた。

「木山、淳のこと呼んでくれた?」

梶君が聞くと、電柱にもたれて立っていた木山君が俯いたまま「あー忘れてたー」と棒読みで言う。

「そんなことだろうと思って、私がメールしておいたからね。」

めぐちゃんが呆れたような表情で言い、いじっていたケータイを閉じる。

「浅井は?」

梶君は木山君と同じ電柱にもたれて座っていた井上君に尋ねる。

彼は少しだけ顔を上げて「知らない」と不機嫌な声で言った。

まだ仲直りしてないらしい。


代わりに木山君が「トイレ」と答えた。

「淳来るなら俺先に行く。」

木山君が電柱から離れて歩き出すと、彼と割と仲の良い男子たちが慌てたようにその後を追った。

めぐちゃんは淳君を迎えに行くと言って、彼の家の方角へと行ってしまう。

残された私と梶君は、井上君を見下ろした。

「私たち、浅井君待つけど…。」

私が言うと、井上君は立ち上がり、無言のまま木山君たちの消えて行った方向へと行ってしまった。

「喧嘩中なんだって。」

私が説明すると、梶君が「珍しいね」と呟いた。




待ち合わせ時間から5分だけ遅れてやって来た浅井君は、私たちしか残っていないのを見て。、「やっぱりか」と笑いながら項垂れた。

「ごめんな、木山が薄情なせいで。」

梶君が真顔でそう言いながら同情するように浅井君の肩をポンと叩いた。

「いや良いよ、木山はそういう奴だから。」

浅井君も真顔で言い返す。

木山君の野球部での扱いを改めて考えさせられながらも、私は2人に挟まれるようにして歩き出した。

「浅井君、井上君にまだ謝ってなかったんだね。」

私がふと思い出して言うと、右にいた浅井君が私を見下ろす。

「え、あれって俺が謝るべきなの?」

驚いたような顔で言われ、逆に私が驚いてしまう。

悪いことをした、大人げないことを言った、そういうつもりはまったくないらしい。

入学してからずっと変わらぬ彼の「悪気0」っぷりにはいい加減呆れる。

「せっかっく心配してくれたんだから、ありがとうくらいは言うべきだよ。」

私が言うと、浅井君は眉根に皺を寄せながら俯いた。

「今時小学生でもごめんなさいくらいは言えるぞ浅井。」

梶君にも追い打ちをかけるように言われ、浅井君はさらに肩を落とした。

「だって俺別に悪くないし…。」

浅井君がブツブツと文句を言いながら、うなじにかかる髪を軽く結い上げる。

木山君や淳君はたまにやっているけれど、浅井君が髪を結っているところは初めて見る。

少しだけ新鮮な気分になりながら私がジッと見上げていると、視線に気付いた浅井君は恥ずかしそうに笑った。




神社にお参りをしてから、私たちは屋台の1つ1つを覗いていく。

梶君はまだ浅井君に謝るよう説教していて、浅井君もいい加減耳ダコだと言わんばかりに耳を塞いでいた。

彼らは射的や金魚すくいなど、遊べる屋台の前でばかり足を止め、「やってく?」「やらない」というやりとりを繰り返していた。

お囃子の音を聞きながら歩いていた時だった。

「あれって浅井じゃん。」

そんな声が耳にフッと届いた。

私だけでなく、浅井君も足を止める。

私と梶君が振り向いても、浅井君は振り返らずにジッと俯いていた。

「少年院行ったって噂、嘘だったのか。」
「普通に高校生やってるとかちょっと拍子抜けだよな。」

そんな声は私たちの横を通りすぎて行き、やがて聞こえなくなった。

梶君が言葉を探しながら浅井君の顔をのぞき込む。

浅井君は小刻みに震える手をそっと口へと持っていき、辺りをそっと見渡した。

私も慌てて辺りを見渡したものの、周りは人で溢れていて、何処か静かな場所に出られそうにもない。

浅井君がその場に座り込もうとした時だった。

すみません、と荒げた声で言いながら人混みを掻き分けて来た男子が、勢いよく浅井君の上に覆いかぶさった。

「井上…」

何処かに落としてきたのかサンダルが片方ない井上君は、浅井君の頭を抱きかかえたままジッとしていた。





静かな神社の境内に私たちは移動した。

井上君は汚れた服を脱ぎ、石壇に座っている浅井君の横に腰を下ろす。

浅井君は一言も喋らないまま、じっと膝に顔を埋めていた。

井上君も何か話しかけるわけでもなく、人で溢れる神社の下を眺めていた。

「井上、木山たちと一緒に行かなかったの?」

梶君に言われ、井上君はそっと顔を上げて頷く。

「俺、木山君ほど薄情じゃないから。」

ボソッとそう言いながら、井上君は浅井君の背中をぽんぽんと規則的に叩いた。

「下に水道あったよね…。
俺、服洗って来る。」

井上君はまたぼそぼそと言って立ち上がると、階段を下りて行ってしまった。

彼が座っていた場所に梶君が遠慮がちに腰を下ろし、浅井君に呼びかける。

「大事にされてるじゃん、浅井。」

浅井君は顔を上げないまま、「うん」と低い声で呟いた。




結局、木山君たちと合流することは叶わなかったものの、めぐちゃんと淳君は一緒に神社へとやって来た。

事前にメールで私が知らせを入れておいたからか、めぐちゃんはいつものように動転することはなく、ただ浅井君に近付こうとはせずに私の陰に隠れていた。

淳君が浅井君の傍に座って何か声を掛けているのを見て、私はぼんやりと階段の踊り場でのことを思い出していた。

あの時、浅井君が淳君のことを心配して、彼を保健室まで運んでいたっけ…。

花火が始まると、丁度よく戻ってきた井上君が、浅井君の首を掴んでやや強引に顔を上げさせた。

浅井君は疲れたような表情のまま井上君を見て、それから視線を花火へと移す。

「元気出して、浅井。」

井上君は背後から浅井君の首に腕を巻き付けながら、小さな声で言った。



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