主さまの気まぐれ-百鬼夜行の王-②
晴明は蔵の前に着くと、懐からありったけの札を出して人差し指を噛み切り、血で字を書いた。


およそ10枚ほどあった札に同じ術式を書いて蔵の四方に貼り、鬼の形相で椿姫の腕を掴んでいる山姫の赤茶で長い髪を撫でて気を落ち着かせた。


「十六夜の処置と同時に椿姫というあの女子をしばらくの間この蔵へ閉じ込める。この血の匂いを封じ込めなければ」


「そんな女どうだっていいじゃないか!あんた…息吹が心配じゃないのかい!?主さまと離縁してどれだけ悲しがってるか…!」


「十六夜が死ねば息吹はもっとつらい思いをするだろう。椿姫は十六夜を囮に何かをしようとしていたのだ。それを聞き出せば、あるいは息吹が考え直すやもしれぬぞ」


「……あんた…椿っていうみたいだけど…後でちゃんと話を聞くからね!覚えておいで!」


「………はい…」


山姫も雪男も手拭いで鼻と口を覆っている。

そうでないと今にも椿姫に襲いかかってしまいそうだったからだ。


掴んでいた椿姫の腕を乱暴に離した山姫が悔し涙を流しながら蔵から離れると、雪男は冷え冷えとした美貌を曇らせてぼそりと呟いた。


「離縁するんなら、待ったなしだ」


「そなたはそうだが、息吹の気持ちを尊重してもらいたい。急ぐので話は後にしてもらおう」


「何があったのか全然わからないままだけどさ…主さまはまた息吹を泣かせたわけだ。…晴明、主さまをちゃんと助けろよ。俺が後で喧嘩売るんだからさ」


「任せておけ。では後程」


蔵の中は薄暗くて様々な骨董品が所狭しと置かれていたが、雪男はそれらを隅に避けて中央を空けると、四隅に燭台を置いて蝋燭に火を燈していた。

重たい扉を閉めた瞬間蔵の四方に貼った札が発動して結界が張られると、仮死状態の主さまを中央に寝せて傍らに座した。


「そなたは隅に座っていなさい。ここに居れば酒呑童子はそなたを奪いには来れぬ。そなたの処置は十六夜が終わった後だ」


「……はい…」


晴明に許されて額に貼っていた札を取った椿姫は、先ほど燃え上がるような瞳で息吹の母だと告げた山姫の言葉を噛み締めて俯く。


自分は夫婦の絆を壊してしまったのだ。

あの酒呑童子から逃げるために――逃れるために。


あれからここ1ケ月、酒呑童子は現れていない。


こんなに待っているのに。

こんなにも、来てほしいのに。

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