ボレロ - 第一楽章 -


大女将が帰りがけに漏らした言葉に、私は期待を持った。


『須藤会長は一本気な方ですが、筋の通った話には耳を傾ける方だと

お見受けしております。 

近衛様、真っ直ぐに向かっていかれることが早道かと……

それから、三宅会長にご相談なさってはいかがでしょう。

須藤会長とは古いお知り合いでいらっしゃいますよ』


まずは、お嬢様のお気持ちをお確かめになられて、それからでございますね、

と念を押されたのには苦笑した。

大女将は、そのほかにも須藤家の事情を内々に話してくれた。

本来なら客のプライベートな部分は決して口外しないであろう大女将の、

私への援護だろう。

ありがたいことだった。



「三宅会長か……理美さんのことは吹っ切れたのか。

そうだよな、だから珠貴さんと……

すまん 余計なことを言った」


「いやいいんだ。彼女から式の日取りが決まったと聞いた」


「そうか良かった。これでおまえも自由に動けるな」



かつての婚約者三宅理美のことを思い出すこともなくなっていたのに、

思いがけないところで名を耳にし、心の奥が小さく軋んだ。

大女将も私と理美とのいきさつは知っているはずだ、その上で三宅会長の

名前を出したのだろう。 

もう拘る必要もないと教えるように……

けれど、一方的に婚約を解消した相手として、理美の両親は私へ良い印象を

持っていない。

理美の祖父である三宅会長だけが、私たちの婚約解消の本当の理由を

知っていた。


『君には大きな借りがある。困ったことがあったらいつでも相談して欲しい』


三宅会長からこのような言葉をもらっていた。

だが、会長に頼るのは最後の最後だ。

まずは自分の力で動いてこそなのだと、三宅の名は胸の奥にしまい込んだ。



珠貴との会食が定例になり、シャンタンに足を運ぶのはこれで何回目だろうか。

老齢のギャルソンは、珠貴を当然のように常連客扱いし、ソムリエは私たちの

席には近づかない。

料理長は彼女の好みを把握し、私の好む物より珠貴の好物を皿に

登場させることが多くなっていた。




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