紅睡蓮の墓守邸
――十二色(じゅうにしき)の宴、と呼ばれる墓守の懇親会がある。
 世界にたった十一人しかいない同胞と顔を合わせる貴重な機会で、その日は墓守も使命を忘れて丸一昼夜ほど宴に興じるのが慣例だった。
 それは友人たちと遊びに興じるものでありながら、墓守の中で神聖視されるひとつの区切りである。千年を余裕で生きる墓守にとって、十二色の宴は時間の経過を認識させる機会であり、永い時の中で積もった疲労を発散させる大事な場でもあった。
 無事に紅姫が百年に一度の眠りを乗り越えてしばらく。幾度目になるか分からない、十二色の宴が行われようとしていた。
 紅姫は落ち着いた茜色の、牡丹や小松鶴の描かれた打掛の裾を払い、手に持った闇色の扇子を優雅に左から右へ薙いだ。ゆらりと空気が微風と共に揺らいで、突如として立派な閂の付いた門が眼前に出現する。
 特に驚きもせず紅姫はその門を眺め、すぐに後ろに控えていた十澄を振り返った。
十澄は軽く目を見張って門を眺めていたが、紅姫の視線に気付くと小首を傾げる。その傍らには鬼丸と風切姫も控えて、じっと紅姫の言葉を待っている。
 紅姫はすっと目を細めて小さく笑みを浮かべた。

「これが宴の間へ続く“道”じゃ、明日の夜までは繋がっておる」
「……この先で十二色の宴があるんだ?」

 十澄は不思議そうな眼差しを、紅姫からまた門へと移す。
 それぞれの墓守に用意された“道”を通る以外では、十二色の宴が開かれる宴の間へは行けない。宴の間は空間的に世界から剥離されており、墓守が集う時にしか、外に開かれないのだ。睡蓮邸も人の世からは隔絶されているが、妖に対して開かれている分、まだ宴の間より開放的だろう。
 外に出る時は常に誰かが傍にいる紅姫だが、今回だけは一人で“道”を通って宴の間へ行くことになる。だから十澄や鬼丸、風切姫たちは睡蓮邸に留守を預かるのだ。
 彼らはちょうど、十二色の宴に赴く紅姫を見送りに出て来ているところだった。
 もう何度も紅姫を宴の間へ見送っている鬼丸や風切姫は慣れたものだが、十澄は物珍しそうにしている。そしてまた、紅姫に注ぐ視線は少し不安げでもあった。

「やがり、お主も共に行かぬか?」
「いや……、邪魔をしても悪いし、遠慮しておくよ」
「かまわんと言うに、強情じゃな」
「そうかな? 普通の判断だと思うけど」

 ここ数日、何度も交わした会話を二名は繰り返す。
 十二色の宴は本来墓守しか立ち入れない宴会である。永い時の流れの中で、一度たりとも部外者を招き入れたことはない。それは墓守の聖域を穢すのを憂いた、というよりも単純に墓守にそこまで近づけた者がいないという側面の方が強い。
 鬼丸と風切姫が飽くまでも使用人として紅姫の傍に在るように、妖にとって至高の立場にある墓守と並び立とうと志す者など、なかなか存在しないのである。
 だからこそ、墓守の孤独は深いと言える。

(わらわとしては皆に景を紹介しておきたいが……)

 無理強いはできまい、と紅姫は独りごちる。
 紅姫にとって十澄はもはや、自分と切り離して考えられない大切な存在だった。それゆえに、十一人の同胞にも認知してもらいたいと考えるのは自然の流れであった。
 それでも十澄の遠慮する気持ちも、理解できないわけではない。むしろ意気揚々と乗り込むようであっては、逆に十澄らしくないだろう。

「ねえ、十純。その……もう、身体の方は大丈夫かい?」
「ふむ、何とも言い難いな」

 紅姫は自分の小さな身体を見下ろし、顎に手を当てて少し考え込んだ。
 百年に一度の眠りから、紅姫は異例の早さで目を覚ました。たった一日半という短い眠りだった弊害か、それ以降もふとした瞬間に眠気に襲われるようになったのだ。最近では生理現象として眠りを必要とする十澄と並んで寝具に入っていることもよくある。
 ただ紅姫の眠りは時と場所を選ばない。何の突拍子もなく、強烈な眠気に襲われてすぐに寝てしまうのだ。それは妖の客が訪れている時もそうで、そのために客を待たせることもしばしばあった。一度寝たら自然に目を覚ますまで誰も起こせないのも、奇怪な特徴である。
 十澄は十二色の宴の最中に紅姫が眠りかねないことを心配しているのだ。今回ばかりは、誰も紅姫の傍にいないから、睡蓮邸まで送り届けてもらえないだろう。

「とは言え、こればかりは仕方あるまい。あまりに心配になったら、お主が迎えに来ればよい」
「あー……分かった。ぼくだけでも通れるかな?」
「おそらく。試した者はおらぬが、大丈夫であろう」

 いまいち確証のない言葉に、十澄は苦笑を零す。
 だが紅姫には奇妙な確信があった。それぞれの墓守の“道”を他の墓守が通れないことは過去に立証されている。紅姫は他の墓守の“道”を通って、他の墓守の屋敷に行くことはできない。ただ墓守以外の者に対して“道”がどう対処するか、例がないため未知数だった。
 それでも紅姫は他の誰でもなく十澄なら大丈夫だ、と直観的に判断していた。十澄はこの世で誰よりも紅姫と繋がっているから。

(いささか、感情論のようでもあるが)

 幼い子どものような言い分に、紅姫自身も苦笑いするしかない。結局のところ、実際に行ってみるまではどうなるか、さっぱり分からないのだ。いくら議論しても意味はない。
 さて、と紅姫は気分を切り替えて門へ視線を移す。

「少しばかり留守にする。あとは頼むぞ」
「いってらっしゃいませ、紅姫様」
「存分に楽しんで来てくださいね!」

 鬼丸が深々と頭を下げ、風切姫が軽やかに天を舞う。
 古くから仕える彼らが睡蓮邸にいるなら、何も心配することはない。厄介な客が現れようと丁重にお帰りを願える実力は充分にあった。
 紅姫はそっと門に手を掛け、あっさりと太い閂を外す。ぎぎぎ、と勝手に門は外側に向かって開き始め、どこに続くとも分からない闇を奥にのぞかせた。一寸先は闇という喩えが現実化したような眺めだった。
 その闇の中に大した躊躇もなく飛び込む寸前。もう一度紅姫は背後を振り返った。
 そこに佇む人間の青年を見て、唇を綻ばせる。

「……ならば、待っていようか」


『迎えに行く』


 あれほど渋っていたのに、十澄の唇がそう言葉を紡ぐのが分かった。

(ただの小娘じゃあるまいしのぅ)

 自分の舞い上がった心を認めながら、紅姫は呆れに似た感覚に支配される。
 十澄と出会ってから、紅姫は日常の些細なことに一喜一憂するようになった。十澄が人の世から採ってくる野花に喜んで、周りに虐げられて泣く十澄の姿に胸を痛めた。人間に馴染みのない睡蓮邸を十澄の過ごしやすいように気配りもした。紅姫の使命に寄り添う十澄に、安堵と一抹の不安を感じることもある。
 だが明らかにそれは墓守の使命に忠実で厳格であった、かつての紅姫とは違うのだ。

「まさか、いまさらわらわに変化が訪れようとは……誰も考えていまいな」

 ふっと脳裏に浮かんだのは、この世に十一人しかいない墓守の同胞の姿だった。墓守の業とでも言うのか、永い時の中でも変化を迎える者は数少ない。十二色の宴は同胞の変化を知る良い機会だが、誰もが変化を忘れて久しい。
 今の紅姫を見て、同胞たちはどう思うのか。永い時を共にしても、予想ができなかった。

「……考えても仕方ない、か」

 そう判断を下して、紅姫は意識を現実に戻す。
 宴の間への“道”は足元すら覚束ない暗闇に覆われている。どちらに向かうべきか分からなくなりそうだが、一点の灯が遠くに宿って道しるべとなっている。それは紅姫を象徴する赤の灯。そこに紅姫に用意された墓守の居場所がある。
 ひた、と下駄を履く足が音もなく煌々と輝く灯に向かう。永遠とも一瞬とも取れる間を置いて、赤の灯は確実に近づいた。その輝きが目を焼きそうなほど威力を持って、紅姫の小さな体躯を包み込む。色合いと相まって炎に飛び込むような錯覚を起こしそうだった。
 神々しい輝きは徐々に収まりを見せ、紅姫の目に映る景観は一変した。

「……あらまぁ」

 宴の間に着いて一番に耳朶を叩いたのは、おっとりとした意外そうな声音だった。
 すっと暗闇の中に浮き彫りになった白色の宴の席に、流れるように視線を向ける。鮮やかな六色の影が、紅姫の方に視線を注いでいた。
 初めに声を上げたのは、黒を司る第一の墓守。漆姫の名を冠する艶やかな妙齢の女性だ。

「紅も来てくれたのねえ、嬉しいわ」
「わらわは来ぬと思われたか?」
「ええ。貴方はいつも、早くに顔を見せてくれていたから」

 ごめんなさい、と漆は困ったように眉を下げて言う。
 紅姫は気にしていないと首を横に振り、改めて宴の席を見渡した。黒、紫、青、橙、茶、桃の六色を冠する墓守たちが円系の席にそれぞれ着いている。紅姫の席も合わせて六つの空席が空しく存在を主張していた。

「この度はこれだけか」
「ああ。少なくなったもんだぜ」
「本当ですわ」

 紅姫がぽつりと漏らした言葉に、紫を司る第六の藤姫が皮肉げに唇を曲げて同意する。橙を司る第五の朽葉姫も残念そうに宴の席を見回していた。
 そこに、落ち着いた低い声が鋭く響いた。

「それより早く、席に着かんか」
「桜か、六百年ぶりかえ?」

 紅姫の視線の先で、身体にぴったりとした紅梅色の衣装を着た若い女性が茶をすすっていた。腰から入った切れ目から細長い足が晒され、髪は後ろで綺麗にまとめ上げられている。見た目の妖艶さに反して、その雰囲気はどこか硬く近寄り難い。
 桃色を司る第十一の墓守、桜姫である。
 紅姫の記憶が正しければここ四回ほど十二色の宴は欠席していたはずだ。その理由は定かではないが、六百年ぶりに会ってもそっけないところは変わっていない。今も桜は話しかけた紅姫の方を見ようともしない。
 紅姫は桜との会話を諦めて、自分に用意された席へ向かった。睡蓮邸でよく見かける深緑色の柔らかい座布団が、ぽつんと宙に浮いた畳の上に添えられている。そこだけ普段の景色とよく似ていて、和の落ち着きより混沌とした感が否めない。
 毎回のことながら、紅姫は高めの位置に浮く畳によじ登り、苦労して座布団に腰を落ち着ける。この時ほど自分の小柄な子どもの身体が恨めしい時はない。

「ほら、紅も召し上がれ」

 そこへ、時を見計らって漆が煎れたお茶が出される。ほんのりと湯気を立てる湯呑に有り難く口を付けるとほろ苦い味が舌に染み渡った。
 漆の出すお茶でまず落ち着くのが、十二色の宴での通例だった。

「……漆の茶の味は変わらぬな」
「それ、褒め言葉かしら?」
「無論のことじゃ」
「あらあら、嬉しいわぁ」

 漆はふわりとなまめかしい笑みをたたえている。彼女は桜と同様に大人の魅力溢れる女性だが、色合いも雰囲気もこの二名は正反対と言えた。
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