紅睡蓮の墓守邸

二日の猶予期間はあっという間に過ぎ去った。
 互いの別れを知っても二人は普段と大差ない会話を交わし、別れのことは気にしないように努めてわずかな時を費やした。
 そして三日目。紅姫が睡蓮邸と共にこの地を去るその日に、十澄は忌々しいほど立派な礼装を纏って背筋を伸ばし、無表情で畳の上にじっと座っていた。
 三つ紋の入った薄い色彩の長着と羽織に無地の袴、角帯を締めた格好は純粋な日本人なら様になるだろう。身体の色素の薄い十澄にも似合ってはいるが、不思議な違和感の含まれた雰囲気を醸し出している。
 見合いの相手は遅れているらしく、本来の顔合わせの時間から二十分が過ぎても見合いの場に顔を出していない。十澄は沈鬱な気分をさらに降下させて、黙して父と二人並んで待っている。
 予定外の延長のおかげで十澄には黙考する時間がたくさん与えられている。睡蓮邸が今日のいつ引っ越すのか、引っ越し先がどこになるかも分からない。こうして時間を無駄にしている間にも、紅姫はこの地から消えているのかも知れない。
 十澄は今すぐ睡蓮邸へ走り出したいような、決定的な別れを目にしたくないような、複雑な心境で見合いの待ち時間を過ごす。
 この時ばかりは父との間に流れる重い沈黙が気にならなかった。
 もやもやした想いをこらえていると、耳にぱたぱたと複数の足音が届く。随分急いでいる様子なので、おそらくは見合い相手だろう。

「失礼いたします」

 女性の声が外から掛けられ、部屋の障子戸が開かれる。
 十澄と父が姿勢を正して視線を向けると母子らしき女性が二人、入室してくる。
年配の女性の後に現れた、髪を結い上げて若草色の振袖を着た十代後半ほどの女性が、十澄の見合い相手だった。絵姿にあった通り、育ちの良さが垣間見える上品な雰囲気の女性だ。
 二人は楚々とした動作で十澄たちの向かいの席に座る。

「この度はお待たせして申し訳ありませんでした。来る途中に急な事故に巻き込まれ、遅れてしまいました」

 落ち着いた桔梗色の小袖を着た母親が恐縮した態度で頭を下げてくる。それに追随して娘も頭を下げる。
 父は普段十澄には見せることのない愛想の良い笑顔で、それを穏やかに受け流す。

「いえ、それほど待っておりませんのでお気になさらないでください」

 今回の縁談相手は十澄家より古い歴史を持ち、家格も上の家の娘である。例え気に食わないとしても、表面上は良好な関係を保つ必要がある。十澄にこの縁談がもたらされたのも、家格が上の娘を嫁にとって十澄家の地位向上を図るためだろう。
 十澄は冷めた目で見合いが進むのを見ていた。

「こちらが娘の美津子です」
「美津子と申します。よろしくお願いいたします」

 娘を紹介されて視線を移すと礼を取った美津子と目が合う。その瞬間、美しい彼女の顔にわずかな嫌悪がよぎったのを、十澄は見逃さなかった。
 異人の子が、と侮蔑の言葉を吐かれた気がした。

「これが息子の景一郎です。本日はよろしくお願いします」
「……景一郎です」

 父に紹介されて小さく頭を下げる。絞り出した声は酷く冷たく十澄の耳の奥にまで響いた。
 普段に増して愛想の無い十澄を父は睨み付ける。
それに応える余裕もなく、十澄は視線を下に落としてじっと時が過ぎるのを待つ。握りしめた拳を隠して、荒れる感情を抑え込んで、ひたすら耐える。
 幼い頃に舞い戻ったような感覚で、十澄はようやく最近忘れ始めていた辛い記憶を振り返っていた。
十澄は外国人であった母方の曾祖母の血を色濃く受け継いでいる。不気味なほど白い肌と栗色の髪がその証左だ。母の実家は十澄家と同程度の家格を持つ名家だったが、いかなる理由からか、外国の娘を本妻として迎え、外国の血を取り入れた。
 母方の祖父は十澄とよく似た色素を持ち、その子である母は純粋な日本人の色素を持っている。十澄の容姿は祖父からの隔世遺伝なのだ。
 長い鎖国を終えて激動の時も過ぎ、文明開化で日々の生活様式が刻一刻と変わる現在は、街中を歩けば外国人に出会うこともしばしばである。そのため、外国人への風当たりは昔に比べると圧倒的に弱い。
 しかし、やはり人間は異端を嫌う。それはプライド高い名家の人間ならなおさらだ。外国の血を引く母は十澄家に嫁ぎ、長男として生んだ子は外国の血を濃く引いていた。異人の子を産んだ、と母は十澄家で散々になじられ、その恨みを子へ――十澄へ向けた。
 次男の恭二郎が日本人らしい容姿だったこともあり、十澄は弟を除いた十澄家の人間に疎ましがられた。
『何故、よりにもよって長男があんなみっともない子なのだ』
『異人の子が』
『汚らわしい』
 そんな罵詈雑言を生まれた頃から十澄は家族から投げかけられてきた。その筆頭は実母で、彼女はことあるごとに十澄に暴力と暴言を繰り返した。その母が亡くなっても、
十澄への中傷は止まっていない。
 家の外に出ても多くの人は十澄を敬遠し、あるいは嫌悪し、好奇の目で見てくる。色素の薄い十澄の居場所はどこにもなかった。


――六歳の時に紅姫と出会うまでは。

< 9 / 30 >

この作品をシェア

pagetop