南の海を愛する姉妹の四重奏
 この男に、姉もロアアールもくれてやるものか。

 ウィニーは、涙を溢れさせたまま、男を睨み続ける。

 愛も優しさも、彼には何ひとつ期待してはいない。

 必要なのは、この男がウィニーの夫となること。

 それだけだ。

 王太子だった男とその血を、公爵の妹の夫という傍系の彼方に押しやろうとしたのである。

 おかしなことなど、何もない。

 イスト(中央)が、最初から言ってきたことのひとつを、ロアアールは選び取ったに過ぎないのだから。

 それで、反逆の意図があるという難癖がつけられることもないだろう。

 ウィニーが将軍たちに提案し、承諾を受けたことである。

 ロアアールの直系に、王家の血が入るより百倍マシだと考えた。

 ウィニーは、この男と一緒に戦場に向かった時から、命の鎖で縛られていたのだ。

 それが、今後一生、という時間に変わるだけ。

 一生、ウィニーはこの男と戦うと、心に決めたのである。

「愛している? 面白い冗談だな」

 彼は、笑い始めた。

 いつもの笑いではなく、身体の底からわきあがる感情に抗いきれないように、傑作だと言わんばかりに大笑いを始めたのだ。

「もっと素直に、言ったらどうだ。大嫌いだが、結婚してくれ、と」

 その笑みの向こう側から、正しくも痛い言葉が流れ出してくる。

 茶番だと分かっているくせに、その茶番に喜劇を混ぜようとするのだ。

 悔しさと悲しさで興奮したウィニーの意識に、それは激しく耳障りな音を立てた。

「あなたなんか大嫌いです! だから、私と結婚してください!」

 こんな、滑稽な台詞はないだろう。

 後ろで聞いている南長は、さぞや呆れているに違いない。

 ウィニーだって、後から思い出したら自己嫌悪に陥るような状態なのだから。

 そんな彼女に、ゆっくりとこの男は笑みを隠して行く。

「……口約束でいいのか?」

 彼の投げた言葉は──残酷な意味を抱えている。

 ここで、彼が言葉で了承したところで、いまの姉ならばひっくり返してしまう可能性があった。

 姉もまた、ウィニーを守ろうとしてくれているのだから。

 ならば。

 姉さえも、決してひっくり返せない結論を、ここで出さなければならない。

 相手が一般人であるならば、このまま教会に引きずって行って、無理矢理にでも式を挙げさせるくらいの結論。

 しかし、相手は王族だ。

 王太子をやめたばかりのこの男に、そんな真似は出来ようがない。

 他に手段は。

 ウィニーが考えを巡らせた途端、固く痛いものが思考の曲がり角にあった。

 彼女は、『それ』にしたたかに頭をぶつけ、そして、あっという間に答えに出会ってしまったのだ。

 うう。

 気づけばウィニーは、軍服のズボンをぎゅっと握っていた。

 そういうことだ、と。

 この男と結婚するということは、そういうことなのだ。

 後になるか先になるか、順序が違うだけ。

「私を……」

 声が、震える。

「私を……抱けますか?」

 今、心から愛する人がいなくて、本当によかった。

 それが、ささやかな自分への慰めだった。

 ※

「後ろを向け」

 ウィニーの問いに、彼は想像出来ない答えを返した。

 怪訝に思いながらも、従えない話ではない。

 そのまま反回転すると、入口付近に控えている南長と目が合った。

 彼女は、こちらを見ている。

 いや、見守っていると言った方がいいのか。

 いつかのように、命がけで彼に逆らうようなこともせず、ただ静かに事の成り行きを見つめているようだった。

 背中側の彼との距離は、変わらない。

 近づくでもなく遠ざかるでもなく、おそらく彼もただ、こちらを見ているのだ。

 そんな彼が、次の言葉を言った。

「上着を脱げ」

 カッと、首筋までウィニーは赤くなった。

 明るく、そして他の人のいる状況で、彼女を辱める気なのか、と。

 だが、南長は視線もそらさないし、止める気配もない。

 ウィニーを助ける者は、ここには誰もいないのだ。

 それ以前に、分かっていたことではないか。

 この男が、ひどい人であることくらい。

 それと戦えなければ、ウィニーはこの先生きていけないのだ。

 軍服の上着を脱ぐ。

 何も言われないということは、下に着ているシャツも脱げということだろう。

 震える指に力を込め、彼女はひとつずつシャツのボタンをはずした。

 更に下には、肌着を着ている。

 ドレス用ではない、実用的な色気のない肌着だ。

 何も言われない。

 ついに、最後の肌着を脱いでしまえば、白く頼りない小娘の上半身裸の出来上がりだった。

 脱いだ肌着で胸を隠しているくらいは、許されないのだろうか。

 やや猫背になっている彼女の背にある、彼の気配が動いた。

 びくっとしたのは、2回。

 短い時間差での出来事だった。

 最初は、彼が近付いてくるのに気づいた時。

 次は、冷たい指先が──背中を斜めになぞった時。

 あっ。

 その形を、どうして忘れられようか。

 ウィニーの背中に、大きく残る刀傷。

 それに、彼は触れたのだ。

「答えてやろう……」

 男は、言った。

 背には、彼。

 前には、南長。

 その二人に挟まれた状態で、ウィニーは背中から語られた言葉を聞いた。

「答えてやろう……私は、お前を抱けるぞ」

 声に──笑みはなかった。

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