南の海を愛する姉妹の四重奏
 ウィニーにとってフラでの生活は、新鮮かつ暑苦しいものだった。

 日に日に、夏に向かって温度が上がっていく幅は、ロアアールの二倍は確実にあるだろう。

 うっかり太陽の下に長くいてしまい、皮膚が真っ赤になって痛い目をみてしまった。

 フラの褐色の肌の女性たちは、そんなウィニーに驚きながらも、冷たい野菜のパックで日焼けを鎮めてくれた。

 頻繁に雨が降ることはないが、降る時には癇癪を起こした赤ん坊のように猛烈に降り注ぎ、雨雲が通り過ぎた後には、目が痛いほどの緑と鮮やかな色の花が咲き乱れる。

 彼女からすれば、極端な気候のように思えるが、この地にとっては昔から続く、ごく当たり前の日々なのだ。

 そんな、暑さに慣れ切れない彼女の元に、フラの公爵とスタファが現れた。

 美しい赤や黄色の花の咲き誇る中庭を眺望できるサロンは、普段は女性たちの格好のおしゃべりの場所である。

 花の香りのする甘いお茶を給仕されながら、ウィニーは彼らと軽い挨拶を交わす。

 ここは、都の後宮のような規模と厳格さはないものの、一応公爵のための奥屋敷である。

 スタファが一人で来るには体裁が悪く、公爵が一人でウィニーの元を訪れるには、いささか周囲の目が憚られるところでもある。

 ここに滞在している期間で、彼女はそういう微妙な空気感というものも味わっていた。

 そんな意味で、二人での来訪は正しいことであるし、ウィニーにとっても嬉しいことだった。

 しかし、スタファは余り機嫌が良くなさそうで、公爵はそれを知っていながら放置しているようにも見える。

「スタファ兄さん……何かあったの?」

 おそるおそる声をかけると、いつもより若干目を細めたままの彼の黒い瞳が、こちらへと向けられる。

「あんな男の、どこがいいんだ? まったく、お前は……」

 その大きめの唇から、理不尽にまみれた声が落とされる。

 あっ。

 瞬間的に、ウィニーの脳裏に『彼』が駆け抜けた。

 ギディオンだ。

 ウィニーがフラにいる事に対して、彼から何らかの反応があったのだろう。

 どきどきが、胸いっぱいに広がる。

 このどきどきは──何が飛び出してくるか分からないという意味のもの。

 突拍子もない人過ぎて、彼女の想像力ではとても追いつけないのだ。

 そうしたら、隣の公爵がぷっと吹き出すではないか。

 即座にスタファに睨まれるが、睨まれた事により更におかしさが増したのか、肩を震わせて笑い始める。

「いや……実はね」

 そして、ギディオンがフラの公爵もウィニーも完全無視で、通り過ぎて行ったことを聞かされるのだ。そのルートが、隣国へ密偵を潜り込ませるものであることも。

「あ、あはは……」

 彼女は、微妙な半笑いを浮かべた。

 公爵のように愉快がるには、余りにスタファに悪かったのだ。

 ああ、もう。

 素直に、フラやロアアール軍を説得に行くような男ではないことは、最初から知っていたつもりだ。

 だから、彼なりの『丸く』がどういうものであるか、ウィニーもまた知りたいと思ったのである。

 その内容次第では、自分がロアアールに帰れなくなる。

 そんな重大な事態を賭けて、彼女はギディオンの行動を見守ろうと思っていたが、国外脱出から始められるとは思ってもみなかった。

 だが、同時に心の中で思ったこともあった。

 いいなあ、と。

 何という身軽さなのだろう。

 王太子という身分の方が、本当は枷ではなかったのかと思えるほど、彼は簡単に国境を飛び越えて行った。

 彼は、己の目で隣国を見に行くことに決めたのだ。

 人の口や書物の情報ではなく、その肌で知ろうと言うのだ。

 彼は、華やかな椅子に座っていることをやめた。

 最初から、それに興味も執着もなかった人だ。

 さぞや、心地よい思いで船に乗ったことだろう。

 ロアアールの脅威である隣国は、ウィニーにとって本当は遠い国だった。

 戦いでぶつかりあうことこそあれ、顔の見えない国だった。

 彼は、その「顔」を見に行ったのである。

 もし、彼女が男だったなら──ギディオンと一緒に船に乗ったはずだ。

 そう思ったら、「いいなぁ」と思ってしまったのだ。

「殴れるものなら、殴ってやりたいぞ」

 憤然とする気持ちを抑えきれないようなスタファが、正直な言葉を口にする。

 あれ?

 その言葉に、微妙な違和感を覚えて、ウィニーは首を傾げた。

 そして、気づいた。

 スタファの中では、まだ彼は『王太子』のままなのだ、と。

 ロアアールで会った時の、距離のまま。

 だから、そういう言葉が出るのだろう。

 ウィニーは、ふふっと笑ってしまった。

「何がおかしい?」

「だって……」

 彼女は、答えようとしたが、答えた後の反応を最初に想像してしまい、なおおかしくなって笑ってしまった。

 公爵もスタファも、不思議そうにウィニーを見ているので、何とか笑いをこらえて彼らの方を向き直る。

「だって……スタファ兄さん。殴りたければ、殴りに行けばいいのに」

 ギディオンは、もはや王太子ではない。

 勿論、王の子には変わりないのだから、身分からすればそれは不敬に当たるだろう。

 それが、どうしたというのか。

 スタファに殴られたからと言って、あの彼が自分の父に泣きついて、フラを罰するようにお願いするとでも思っているのか。

 ギディオンのいるところは、王宮ではない。

 聞けば、たった一人の従者しか連れずに旅立ったという。

 それは、彼が周囲に守られる気がない、ということ。

 そんな状況で、誰からも傷つけられずに生きていけるなんて、ギディオンだって思ってないだろう。

 スタファは、驚きに大きく目を見開いていた。

 公爵は、笑い出すかと思っていた。

 けれど彼は、横目で弟を見て、黙っていた。

 スタファが驚きから冷めた後、どういう思考をするのか──それを見守るかのように。


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