ETERNAL CHILDREN 2 ~静かな夜明け~
シャワーで十分髪を濡らしてから、丁寧に立てた泡で、優しく髪が包まれていく。
見上げるフジオミはどことなく嬉しそうだった。
「……髪を洗うのが、そんなに楽しいの?」
「君の世話をするのが嬉しいんだ」
やはり、わけがわからない。
「不謹慎だけど、今なら君は、僕が近づいても嫌がらないから」
「――」
確かに、普段の自分ならこんなことは許さないだろう。
だが、有り得ない暴力に曝され、シイナは精神的にも身体的にも弱っていた。
フジオミ以外の男性体が全て疑わしい今、信じられる者に傍にいてもらわなければ安心できない。
その事実こそが、一番の驚きでもある。
フジオミが傍にいて安心するなんて。
今まで、一番傍にいてもらいたくない男のはずだったのに。
優しい指先が、頭皮を撫でるように洗いながら髪を梳いて後頭部に流れていく。
静かに繰り返される動きに、シイナはいつしか目を閉じる。
何だろう、この感覚は。
フジオミの指が側頭部に触れるたびに、背筋に鈍い痺れがわく。
だが、それは不快ではなく、寧ろ心地いいとさえ思える。
他人に髪を洗って貰う行為が、こんなにも心地よいとは思ってもいなかった。
フジオミの指が離れた時は、物足りないと思うぐらいだった。
「シイナ、流すから、そのまま目を閉じていて」
返事の代わりに、きつく目を閉じた。
温かなシャワーの飛沫が額にかかる。
泡を流すために触れる指が、また、鈍い痺れを呼び起こす。
感覚が、その心地よさを追いかける。
だが、先ほどとは違い、流すためだけに触れる指はすぐに離れてしまう。
シャワーが止まり、乾いたタオルが頭を揺らさないように髪を拭く。
「終わったよ。僕はシーツを取り替えてくるから、ゆっくり浸かるといい」
フジオミがいなくなっただけのことなのに、静まりかえったバスルームが急に寂しく、寒く感じられた。
そんなはずはないのに。
身体を包んでいたタオルさえ、濡れて重苦しく感じる。
「――」
シイナは頭を上げると、タオルを放して浴槽から出た。
脱衣所には、身体を拭くタオルと、頭を拭くタオル、それと替えの寝間着がきちんと置いてある。
まだ頭が痛むために、床に座り込みながら、ゆっくりと身支度を調える。
頭を拭こうとしたところで、鏡を見るために立ち上がったら、立ちくらみで壁にぶつかった。
その僅かな音が聞こえたのか、フジオミが慌ててやってくる。
「シイナ!?」
壁に手をついて寄りかかっているシイナを見て、掬い上げるように抱き上げて大股で寝室に入り、シーツを取り替えた清潔なベッドに下ろした。
「横になって」
「でも、まだ髪を乾かしてないわ」
「僕がするから」
そう言うと、フジオミはまた部屋を出て、今度はドライヤーを持って戻ってきた。
ベッドの端に座ると、横になったシイナの髪を温風で乾かしていく。
「熱くない?」
「え、ええ……」
甲斐甲斐しいフジオミの世話を拒めないまま、結局シイナは横になったままフジオミに髪を乾かしてもらった。
ドライヤーを片づけるついでに、フジオミは薬と水まで持って来て飲ませてくれた。
「……フジオミ、あなた、医局でも働けるわ」
「君限定なら、いつでも喜んで」
静かに笑うフジオミに、シイナはまた不安を覚える。
この優しさは、本物なのだろうかと。
今日一日で、全てが現実ではないような錯覚に何度も囚われる。
恐怖と嫌悪を今でも思い出せるのに、心も身体もそれを拒否したがっている。
あれは、現実ではないと。
あんなこと、起こるはずがないと。
紛れもない現実だというのに。
「さあ、もう寝たほうがいい。明日には熱も下がっているだろう。明かりを消すよ」
立ち上がるフジオミに咄嗟に返す。
「いいえ、明かりは消さないで」
独りになる恐怖に、シイナは一瞬混乱してしまった。
「シイナ?」
「今日は、明かりを消したくないの。そのままにしておいて」
言い募るシイナに、フジオミはしゃがみこんで目線を合わせる。
「暗いのが、嫌なのかい?」
「……そうよ。さっき、嫌な夢を見たから、明かりをつけたままにしておきたいのよ」
「そのせいか――」
考え込むように息をついて、フジオミはもう一度シイナに視線を合わせる。
「シイナ、もし、良かったら、リビングで休ませてもらってもいい? またうなされたりしていたら、すぐに起こしてあげられる。それ以外は、この部屋に入ったりしないから」
その言葉に、表情には出さないよう努めたが、内心ほっとする。
「いいわ。ソファを使って」
「ああ。何か用事があったら呼んで。おやすみ、シイナ」
フジオミが出て行って、その姿が見えなくなった途端、不安が押し寄せる。
すぐに呼び戻したい衝動にかられて、だが、我に返る。
フジオミを呼び戻して、一緒にいてもらって、それでどうなる。
こんなことを繰り返したら、今日の二の舞だ。
今回がフジオミでないにしても、曖昧な態度を取っていれば、フジオミをも誤解させるかも知れない。
今日の件ではっきりわかった。
結局自分は、無力なのだ。
運が良かっただけで、もし、あの時ペンに気づかなければ、あれを突き立てていなければ、それ以上なす術もなく乱暴されていたのだ。
フジオミ以外の誰かに、あんなおぞましい行為を強いられる――そんなことは、耐えられない。
「っ!!」
喉から、干上がった声が漏れる。
咄嗟に手で押さえても、悲鳴をあげてしまいたくなる。
フジオミだから、耐えたのだ。
人類の希望。
未来への希望。
そのための犠牲だと思ったからこそ。
だが、その希望も潰えた今。
もう、耐えられない、これ以上は。
「……」
乱暴に触れられた感触が甦ってきて、身体が震える。
だが、この恐怖を和らげることができない。
誰も頼れない。
助けてもらえない。
怖い。
「ユカ……助けて……」
もういない、自分が死に追いやった女性に助けを求めながら、シイナはただ身を縮めて孤独に耐えるしかなかった。