ETERNAL CHILDREN 2 ~静かな夜明け~
医局は奇妙な静けさで満たされていた。
医局のクローン達は、皆一列に並んでシイナを迎えるために立っている。
「申し訳ありません、博士。急にお呼びすることになりまして」
「いいわ。それより、シロウは」
「はい。こちらです」
医局のリーダーであるクローンが先導し、奥の病室に案内される。
その後をぞろぞろとついてくる他のクローン達の様子は、以前のように怖がっている様に見え、シイナの違和感をますます募らせた。
奥の病室に入ると、規則正しい機械音が聞こえた。
そして、ベッドに横たわるシロウの姿が見えた。
シロウは、少し顔を向けて、シイナを見た。
「博士。来てくれたんですね」
言葉は、いつもより弱々しく聞こえた。
「シロウ、どうして」
「言ったでしょう? 僕の身体はもう、寿命なんです。実質二十二年、生きました。本当に、あっという間でした」
寿命。
言われてから、シイナはようやく気づいた。
クローニングの初期設定は十歳からだ。
基礎的な知識はそれまでに植え付けられるから、彼らにとって、実際に生きる時間はそこからなのだ。
だとしたら、シロウが言ったようにクローンは、実質二十年ほどしか生きていないことになる。
二十年。
たった、それだけ。
老いを迎えることなく、死に逝く者達。
それがクローンなのだ。
「――」
そして、今、シイナは死に逝くクローン体の臨終の場に立ち合うという行為ですら、初めてであることに気づいた。
病室で向かえる死。
クローン達は、このように死んでいくのか。
「最後に、どうしても話しておきたいことがあって、無理を言ってしまったんです。彼らを責めないでください」
振り返ると、病室からこちらを覗いているたくさんのクローン達の視線に、ようやく納得した。
医局のクローン達はシイナの叱責を恐れて怯えていたのだ。
無理もない。
クローンが臨終の場に〈人間〉を呼び出すなど、初めてのことであったのだから。
「責めたりしないわ。呼んでくれてありがとう。しばらく、二人だけにしてもらえるかしら。話すことがあるのよ」
安堵の気配とともに、一礼してクローン達が部屋から離れていく。
扉が閉じられてから、
「あなたを傷つけたいわけではなかった」
静かに声は響いた。
シイナが、静かに振り返る。
シロウは視線をシイナには向けなかった。
まるで、独り言のように、ただ、語った。
「ただ、僕は誰かに聞いてもらいたかったんだ。
とても苦しかった。
自分だけが、こんな苦しみを感じることに疲れていた――解放されたかった」
ゆっくりと、シイナはシロウの傍に近づいた。
シロウの言葉は、重く、だがまっすぐにシイナの胸に響いた。
彼の気持ちは、自分にはよくわかる。
かつては自分も、そうであったから。
ずっと世界を憎んでいた。
生きることを疎んでいた。
人間を嫌っていた。
カタオカを。
フジオミを。
そして、何よりそんなふうにしか感じられない自分自身を。
「――」
シイナの瞳から、涙が零れた。
それに気づいて、少し意外だとでも言うようにシロウは彼女を見つめた。
「シイナ、君――泣いているのかい……?」
零れる涙を、シイナは拭わなかった。
「もっと時間が、あると思っていたのよ。あなたと話せる、時間が――もっと……」
「そうだね。研究も、まだ途中だったね。僕も、もっと時間が欲しかった――でも」
安心させるように、シロウは微笑み返す。
「研究員の代わりならたくさんいる。この身体が死んでも、もう一度オリジナルがクローニングされる。いそいで成果をだす問題でもないんだから少し待てばいいだけだ。君が心配することは何も――」
「でも、あなたの代わりは、誰もいないわ」
その言葉に、シロウは一瞬、言葉を失くした。
暫しの沈黙の後、
「僕の、代わり――?」
囁くように、小さく漏れた言葉。
「そうよ。シロウ、あなたの代わりには、誰もなれない」
シイナの言いたいことは、シロウにも伝わった。
研究員としてではない、クローン体としてでもないあくまでもシロウ個人への、言葉だった。
生気のない瞳が、かすかな希望を見つけたように慄き、揺らいだ。
「――シイナ。僕には、意味があった? クローンでも、僕は、生きていた…?」
「ええ――ええ。あなたは素晴らしい人だった。
あなたは誰よりも生きることを愛し、その生の尊さに気づいていた。
そして生きることの意味を、私にも教えてくれた。
あなたには意味があるわ。あなたには、意味がある――」
それはかつて、フジオミがシイナに言ってくれた言葉だった。
意味があると、だからこそ、生まれてきたのだと。
そしてその言葉は、絶望に立たされていたシイナをかろうじて押しとどめた。
今死に逝くシロウをも救うだろう、厳かな、言葉だった。
シロウは静かに、息をついた。
「……できることなら、僕は〈人間〉として、産まれたかった。そうして――」
最後まで、シロウは言わなかった。
ただ穏やかに、シイナを見つめて。
「さあ、行って。僕ももう逝かなければ。ようやく、この長い苦しみから解放されるんだ」
「待って、シロウ。私にできることは? あなたのために、私がしてあげられることは?」
「本当に? 僕が無理難題を言ったら、どうするんですか――」
「あなたは言わないわ、そんなこと。優しい人だもの」
シロウは微笑った。
シイナは変わった。
相手を思いやる気持ちを、彼女はもう知っている。
変えたのはフジオミだ。
あの、自分にない全てを持った、美しい彼が。
「もう僕を、クローニングしないでくれますか……」
「わかったわ。他には?」
躊躇するだろうと思ったそれを、シイナはいとも容易く受け入れた。
穏やかで暖かい空気に満ちた今なら、どんなことでも叶えられる気がしていた。
シイナも。
シロウも。
「くちづけを。それだけで、いい」
シイナがゆっくりと近づいてくる。
かすむ視界を、シロウは無理に閉じた。
「――」
シイナの唇は温かかった。
こめかみに伝う涙と同じくらいに。
閉じた瞳を、シロウは開けなかった。
ただ最期に見たシイナの顔を閉じこめて逃さないように。
「さよなら、シイナ。フジオミと、幸せに……」
「シロウ、シロウ……」
そして静かに、呼吸を止めた。