かぐや皇子は地球で十五歳。

 今更引き返す理由が思い付かず渋々後に続き螺旋階段を上る。二階入口は全面ガラス張りの広い玄関だ。靴をぬぎ、ひやりと冷たい板場に足をのせると長い廊下を挟んでいくつもの白い扉がみえた。廊下には全面芝生のような毛足の長いグリーンのラグが敷き詰められている。壁は打ちっぱなしのコンクリートで、カフェとはまた趣の違った近代的な雰囲気だ。

「一番手前が、俺の部屋。トイレとバスルームは突き当たり。さ、入って。」

 玄関に一番近い扉を開けると、また映画にでてきそうな中学生らしからぬモダンな部屋が現れた。
20畳はある広い部屋にラグと同色の壁紙、家具はダークブラウンで統一されている。

「この家は、母親の妹夫婦の家なんだ。えーと…叔母さんち?」

「へ、へぇ…。」

 さぁ、どうぞと促されたのは二人座れば間違いなく肩が触れあう革張りのラブソファー。今まで死守してきた処女もここまでか。本日をもって私、眞鍋ゆかりは中二病転校生に犯される。
 失意を胸にグッタリとソファへ腰を下ろすと空腹を刺激する甘い香りがお皿にのってやってきた。

 金髪美女が持ち込んだランチメニューは半熟の目玉焼きがのった四角いクレープとサラダのプレート。焼き上がったばかりの熱々アップルパイにはアイスがのっている。
 期待以上の内容に己の貞操を忘れ、目の前のご馳走に胸を弾ませた。

「お邪魔しないように、ケトルいっぱいに紅茶を入れてきたわよ。ゆかりちゃん、ゆっくりしていってね?」

 手際よくテーブルにランチプレートを広げると、足早に美女は立ち去った。

「さ、食べよう。ここのガレットは日本一だよ!」

 美しい顔を惜しみ無く笑い顔で語りかけるが最早隣に座る仔犬は狼さんにしか見えない。
 最後の晩餐がガレット?随分と気が利くじゃないですか。ここぞとばかり楽しんでやろうと覚悟を決め、カシャカシャとクレープを切り取り口に運んだ。

「───────…おいひぃ~!」

 発酵バターの香りが口内いっぱいに広がり、卵の黄身が絡んだ香ばしいクレープ生地が舌に溶けていく。良質な小麦粉とミルクが最後に甘味となって喉を通り、至福の喜びと懐かしさが余韻となって頬を綻ばせた。消えゆく味わいが切なくナイフとフォークが止まらない。

(この味……お祖母ちゃんの…)

「気に入ってもらえたみたいだね。アメリが喜ぶよ。」

「にゃ!」

 ふやけていた姿勢を正すと転校生がニヤニヤとこちらを見据えている。
肩は触れようと心は距離をおいていた筈なのに、一気に外面を剥がされた気分になった。

 咳払いをして気を取り直し、空いている手を赤いケトルにのばす。

「紅茶入れるね、湯浅くんお砂糖とミルク入れる?」
「ストレート、あきらでいいよ。」

「へ。」

 ティーカップと一緒に顔を横向けた瞬間、唇についていたであろう黄身をグイッと親指で拭われた。指は唇から離れず手のひらは頬に添えられ、近付くアッシュグレーの瞳は私を捉えたまま動かない。

「あ、あの…」
「ゆかり、可愛い…。」

(綺麗な色……ラムネのビー玉みたい。)

 あの金髪美女が叔母さんてことは、やっぱりハーフなんだ。
 ガレット…ブルターニュ。カフェはパリそのもの。きっとフランス人の血。
 私と、似てる。




────────コン、コン。

「入るぞ。」

 ドアを叩く音と共に男の低い声が響いた。反射的に仰け反り、転校生もまた手を離し扉へと目を向ける。部屋へ入ってきたのは白いコックコートに身を包んだ黒髪の男性だ。転校生よりも長身で短い髪は清潔感があり、物腰が落ち着いた大人美男。

「予想以上に混んできてね、空いた食器を下げてもいいかな。」
「あぁ、ごめん。ゆかり、雅宗だよ。アメリの旦那。」
「眞鍋ゆかりです、はじめまして。」

 軽くお辞儀をして顔を上げると、その人は腰を低く傾げ、それはそれは優しく微笑んだ。

(わぁあっ。)

「邪魔したね。それじゃ、ごゆっくり。」

 食器をトレイに乗せ、後引く様子もなく背を向け去っていく。

「ゆかり、親父趣味?」
「な…なにそれ!」
「雅宗、35歳だよ?あーゆーのがいいんだ。」
「別に、そういう訳じゃ─────」

 ないけれど、とても素敵な人でした。凛々しく真面目そうなのに笑うと猫みたいに可愛らしくて、クレープのバターみたいに後をひく美しさ。

(金髪美女の……旦那さんかぁ。)

「ふん。」

 面白くなさそうに私の顔を覗き込むが、またとんでもなく近距離だ。よく考えたらさっきキスしようとしてた気がする!

「近付かないで!」
「ちぇ。髪黒く染めようかな。」

 転校生はさらにふてくされると女の子みたいに口を尖らせ、柔らかな栗毛を指でほぐしながら私へアップルパイを差し出した。



「ゆかり…いいよ、そこだ。」
「こう?」
「あ…!」

「やったー!」

(……なにが、やった!殺られるのは私でしたっ!)

 私がアップルパイとアイスのあったか冷たいに夢中になっている間、転校生が徐に立ち上げたゲームに夢中になって三時間。ソファにすっかり腰が落ち着き西日が沈み始めていた。

(お母さんに、殺される…!)

 鬼の形相で玄関に立っている母親が脳裏にちらつき、ソファから跳ね飛んだ。

「湯浅くん、私帰らなくちゃ!」
「じゃあセーブしとくから、また明日。」
「明日はありません!」
「えー…気にならないの?エンディング。」

 ソファに座ったまま余裕の表情で私を見上げる。最終章を手前に残る謎解きは3つ。気にならない訳がないです。
 だがこれ以上距離を縮めてしまえば謎解き中に狼さんが暴走し、最終章を迎える前に処女喪失してしまう。

「湯浅くんが今まで付き合ってきた女の子と、私を一緒にしないで。」

 餌で釣って自宅へ連れ込み、次の約束を取りつける?中学生がこんな振る舞いできるか……否!この転校生は相当経験値が高い、女子の扱いに慣れすぎている。東京の公立中学?中二病を装い油断させて女を襲う新手のタイプかもしれない。どんなイケメンだろうがこんな軽い男の思い通りになるのは御免だ。

「俺、女の子と付き合ったことないけど。」

 転校生が、キョトンとした。
 私も、キョトンだ。

「嘘…!絶対、嘘!」
「本当だよ。俺…そんなに軽く見える?」
「見える。」ガクリと頭を垂れた。

(────え。)

 ふわふわの栗毛が腹部に押し当てられ、長い両腕が腰に巻き付いた。

「女の子を部屋に入れるのも、二人きりになるのも今日が初めてだよ。」
「ゆ、湯浅くん?ちょ…」
「俺の初めては、全部ゆかりのものだよ。今までもずっと、これからも永遠に。」

 私を見上げたアッシュグレーの瞳が涙で潤んでいる。

「ゆかり……私の永久に貴い人。」


──────あっ。
 やっぱりコイツ、中二病だ。




☆☆☆






「あぁ…──────、エッチしてぇ!」

──────────…ずぇ。

 黒剣の風が闇音となりバルコニーのカーテンを翻した。真っ白なレースカーテンは返り血が染まり血臭を舞い上げる。
 一突きでは致命傷に到らず、死者の手足がバタバタと蛙のように無様に足掻く。最後に喉元へと打突、吹き上がる血飛沫にまたうんざりした。

「くそ…!忌々しい!」
「荒れてますね…。」
「煩い!ちょっと気に入られたからって調子に乗るな!」
「存じませぬが…?それより私めには貴方様の変貌ぶりが可笑しくて可笑しくて。」
「無理もないでしょう、雅宗。ゆかり様ったら、とてもお美しい姫君にご成長されていましたもの。」

 壁際で見物を決め込んだ侍従と侍女が小煩い。剣で二人を追い払い、闇に溶け逝く死者を一瞥もせずベッドへと倒れ込んだ。闇の疲れが全身に重くのし掛かっているというのに、興奮が覚めやらず全く瞼が落ちる気がしない。

(なに─────?あのかわゆさ!)

 美を象徴としたあの人とは比べられない。だが現代に生まれ変わった彼女は未熟な果実のように清純な瑞々しさと甘酸っぱい香りを含み、とても愛らしい。

 ていうか、超タイプ!超可愛い~!
 何、あのぱっちりおめめ。フランス人形みたいなアッシュブラウンの瞳に目尻が睫毛に隠れてちょー妖艶!何よりあのちっちゃな唇。癖なのか何なのか、少し尖らせて上向いた唇は猫口になって俺を誘惑する。触れたその感触はやわやわと指に吸い付くようで、雅宗が邪魔しに来なければ危うくキスしてた。キスしたら、絶対押し倒して乳揉んでた!危険だ…あの色気では何時男に襲われても不思議じゃない。俺が守ってあげなくちゃ~!

「うぅ~。胸がキュンキュンするぅ。」

 小皿に乗せた期待は恋慕に染まり溢れ返り、中学生の心身を耐えがたいほどに浸食していくのでした。



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