チェリとルイル
ルイルという男
「こんにちは~」

 そーっと、少女が家の中を覗く。

 手には、ウサギ。

 肩には弓と矢。

 森を生きる狩人の娘だ。

 名前は──チェリ。

 扉は、開けておいた。

 入れの合図。

 だから、何もそんなに心配そうに覗きこむ必要などない。

 彼女は、客人として堂々と入ってくればいいのだ。

 だが、チェリは頭だけつっこんで、キョロキョロしている。

 確認しているのか。

 それとも、探しているのか。

 お茶の用意はしてある。

 椅子を引いてやる。

 それを、チェリはちゃんと見ただろうに。

 すぐに、座ろうとしない。

 あろうことか、かってに厨(くりや)へと向かう。

 何かを見つけたようだ。

 彼女は、食器棚を開けた。

 そして。

 もうひとつ、カップを取り出してくる。

 ああ。

 彼女の意図しているところが分かった。

 とことこと、カップを運んで向かいの席に置く。

 よし、と。

 これでようやく準備万端だとでも言わんばかりに、そのテーブルの上の景色を満足そうに眺めた後。

「魔法使いさんー」

 そう、呼ぶのだ。

 はぁ。

 出て来いと、言うのだ。

 この狩人の娘は。

 ルイルは、家に溶けた意識の中で、小さなため息をついた。


 ※


 師匠にもらった家は、ただの家ではない。

 下層で一番楽に、魔法使いが自分を溶かせるところ。

 魔法使いの目的は、真理の側にいくこと。

 真理は、人の身では得難く、より近づくには人の身を失う必要がある。

 だから、彼らは溶ける。

 未熟な魔法使いは、迂闊なところで溶けてしまうと、二度と戻って来られない。

 だから──家が必要なのだ。

 師匠の家は、真理のかけらで作られていて、ルイルを簡単に溶かしてくれる。

 そして。

 簡単に戻ることも出来る。

 だが、いまの彼は簡単に戻るのをためらっていた。

 狩人の娘が来ている。

 来たいと言ったし、来ていいと言った。

 だからこその自然な結果なのだが、ルイルの方に大きな問題がある。

 彼は、魔法使いたちとの暮らしが長かったし、多くの時間を溶けて過ごした。

 そのため、普通の人間用の言葉遣いと態度が──よく分からないのだ。

 チェリは、とても表情豊かにくるくると色を変え、そして音量はどうあれ、やわらかい言葉を使おうとする。

 しかしルイルときたら、師匠の元で一緒に暮らした連れがニタだったおかげで、彼女相手以外の態度をよく知らないのだ。

 ニタより、傷つき壊れやすそうな彼女を、うまく扱える気がしない。

 ならば、と。

 ならば、この家として彼女を歓迎する方が、チェリのためではないか。

 そう、考えていたのに。

「ま、魔法使いさん? まほーつかいさぁん」

 何度も何度も、チェリが呼ぶ。

 だんだん不安そうな声になりながら。

 名前を教えたのに、最初にそう呼ぶ癖がついてしまったのか、彼女はその肩書を連呼する。

「うるさい、聞こえてる」

 ルイルは、下層である現実世界に己のほとんどを戻した。

「あっ、こんにちは、魔法使いさん」

 驚きながら振り返った後。

 心から嬉しそうに笑いかけられる。

 どういう表情を返したらいいのか、よく分からなかった。


 ※


「はい、おみやげです」

 爛漫な笑顔で、チェリは茶色い生き物を目の前に差し出す。

 ウサギだ。

 そうすることで、ルイルが喜ぶと思っているのだろう。

 溶けている時は、食べ物は必要ではない。

 人と理を別としているためだ。

 逆に、上層へ溶けるためには、しばらく断食が必要だった。

 上層から戻る時には、下層の食物が必要になるのだが。

 久しぶりに食べたものが、ウサギ料理だった。

 あれは、悪くはなかった。

 だから彼女は、ルイルがウサギを好んでいると思っているのだ。

「……」

 だが、実際はウサギに執着があるわけではない。

 どうしても食べたい訳ではないし、生命維持としても必要ではない。

 それより、彼女が持ち帰って食べるか売るかした方が、よほど有効な命の利用方法だろう。

 だから。

「土産は必要ない」

 自分の心を、素直に口にする。

 ピキン。

 そうすると、チェリは固まるのだ。

 喜んで受け取ってもらえるところを、思い描いていたのだろうか。

 拒絶されたと思ったのだろうか。

 はっと、彼女は我に返る。

「こ、今度からちゃんと皮をはいで、すぐ焼けるようにして持ってきますね!」

 そして──前向きだった。

 食べるための下ごしらえが、大変だと思ったのだろう。

 そうじゃない。

 ルイルは、顔をしかめてため息をつく。

「ウサギは置け。茶が冷める」

 カップを二つ用意されたテーブルへ、彼女の意識を向けさせる。

 あっと。

 チェリは、野の生き物のように、簡単に興味を移した。

「はい、いただきます」

 嬉しそうに椅子に座り、そしてニコニコしながら待つ。

 ルイルが、席につくのを待っているのだ。

 いつまでも待たれそうだったので、彼はしょうがなく椅子に腰を下ろした。
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