泥濘【TABOO】
泥濘
「先輩」

その声にどきりとした。気配に全く気付かなかったからだ。

薄暗く、空気もひんやりと冷たい地下の資料室。書類整理で朝からそこにこもっていたあたしは、さっきまでそこで“イケナイ業務”をしていた。

恋人である上司と、立ったまま声を殺して絡み合っていたのだ。

「タブーっすね」

眼鏡を人差し指で直しながら、後輩はそう言った。

「やっぱ“禁断”って燃えるもんなんすか?」

その言葉で、終えたばかりの上司との情事を覗き見られていた事に気付き、背筋が凍りついた。

「あ、あの――」

「部長の奥さんって確か今、妊娠中でしたよね?」

そう、彼の言う“タブー”とは“不倫”を示唆している。

「奥さんに悪いとか思わないんすか? 好きなら他人のものでも構わない? ……自己中な恋愛っすね」

ムッとしたが、言い返せない。

「あ、もしかして部長って立派なモノ+テクニシャンだったりするんすか?」

最低だ。

「いいご身分ですね、俺を毎日叱りつけておいて、自分は地下のこんなとこでセックス。加えて給料なんて最高ですよね」

「……腹いせに、誰かに言うつもり?」

「さぁね」

後輩はそう言うと、上へ向かう階段へと足を向けた。

「待って!」

強がってはみたものの、焦燥感からあたしは彼を呼び止めた。

「黙ってて」

「タダで?」

くるりとあたしの方へ向き直り、後輩が冷笑する。その笑みにあたしはゾッとした。

「やらせてくれたら……考えてもいいですよ」

スラックスのポケットに両手を突っ込んで、悪びれる様子もなく後輩が言う。

「俺もセックス付きで給料もらえるんなら、毎日先輩から怒られても悪くない」

仕事も満足にできないくせに狡知な奴。だけど、あたしに彼をどうこう言う権利はない。

何も言えないでいると、後輩はにやにやしながらあたしに近づき、人差し指で眼鏡を直してあたしに顔を寄せた。

「先輩に一つ、秘密を教えます。俺ね、部長の義弟なんですよ。ま、姉とは腹違いなんで部長は知らないっすけどね」

愕然とするあたしの唇に、後輩の唇が重なり、柔らかでざらざらした舌が絡み付いてきた。

“拒絶したら、何もかもしゃべっちゃいますよ”

その舌は、そう言っていた。


fin

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