甘え下手
「大丈夫だよ。またそっちに顔出すから。なんかあったら言って」


そろりそろりとドアからは離れているのに、全神経が阿比留さんの声へと集中してしまって、聞きたくもないのに阿比留さんの声が耳に届く。

どれも聞きたくない内容のものばかりなのに。


数メートル先のベッドがものすごく遠く感じた。

まるで綱渡りをしているかのような心細さを乗り越えて、やっとベッドの上に足を乗せる。


座り込むと自分が小刻みに震えているのがよく分かった。

シーツを持ちあげて布団にもぐりこむ。


そこはさっきまで寝ていた自分の体温で温かいはずなのに、冷えた身体は全然温まらない。

阿比留さんがいないから。


主のいない他人のベッドで一人で眠ることが、こんなにも心細いだなんて私は知らなかった。

目を閉じると嫌な想像ばかりが頭をもたげてくるから、私はそんな考えをふり払うようにきつく目をつぶった。


だけど結局その日私が眠れることはなく、阿比留さんもそれから一時間くらいはベッドに戻って来なかった。

きっと、お酒を飲んでいたんだろうなと思った。


私を起こさないようにそっとベッドに入ってくる阿比留さんの冷たい体温を背中に感じながら、私は目を閉じて眠ったフリを続けていた。
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