ルール 【TABOO 後輩】
本文
深呼吸、一つ。
そして、私は静かに決意した。


「ほい。コーヒー」
「ありがと」

彼の家で過ごす土曜の夜。
食事を作るのは私の役目で、後片付けは彼の役目。
それは、二人で決めたルールだった。
片付けを終えた彼は揃いのマグカップの片方を私に差し出した。

「なんだ、それ?」

彼からのその問いかけに、私は内心どぎまぎしながらも、平静を装って淡々とした口調で答えた。

「友だちがね、一緒に行こうって。一応、貰ってきたんだけど、どうしようかなあって」

友だちと告げたその声がいつもと違ってはいないかと、私は彼の顔色をそっと窺った。
それは、会社の後輩から手渡されたチケットだった。二つ年下のその後輩は、女性社員の間で抜群の人気を誇っている。


『一緒に行きましょう』

差し出されたのは、通勤途中の電車の中。珍しく、同じ電車に乗り合わせた朝だった。
なんだろうと思いつつ受け取った私は、舞い上がった。それは、大好きなバンドのライブチケットで、発売開始五分で完売となったものだった。
どうしたの、これと尋ねようとして、でも、その言葉は飲み込むことになった。

『デートの誘いですので、そのつもりで』

何気なく、さらりと告げられたその言葉に、私は一瞬固まって、拳二つ分ほど高い場所にあるその顔を、上目遣いに見た。

『彼氏、いるんだけど』
『知ってます。でも、そんなの、諦める理由にはならないでしょ。ずっと、いいなって思ってたんです』
『気持ちは…』
『少しでも可能性あるなら、一三時の快速で行きますから、来てください』

私の言葉を遮ってそう言う自信に満ちたその声に、私は何も言えないまま、瞬きも忘れてその顔を見つめた。


「行ってこいよ」
「来週の土曜なの。新しい部屋、二人で見に行く約束でしょ。だから、どうしようかなあって」

自分で答えを出せないズルい私は、彼にその断を委ねた。
止めて欲しいと願う私と、甘い予感に何かを期待している私が、彼を試しているようだった。

「あ、そうか。でも、まあ、それは再来週でもいいし。結婚したら、ライブなんてそうそう行けなくなるし。行ってこいよ」

深く考える様子もなく笑ってそう言う彼に、私は「じゃあ、そうする」と屈託なく頷いた。
何かに迷ったら、彼の決定に従う。
それも、二人で決めたルールだった。


隣に座る彼の温もりは愛おしい。
けれど、略奪する気満々ですと言ったあの笑顔が、脳裏から消えない。
私の胸は嵐に震えていた。
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