Secret Lover's Night 【完全版】

それぞれの想い

どれくらい続いただろうか。泣き止んだ千彩が、今はベッタリと吉村に甘えていて。それがすっかり自分の役目だと思っていた晴人は、腕の中の寂しさを掻き消すように自分の腕を抱く。

そして、思う。恵介から聞いた話と随分違うではないか…と。

どうしてもそれに納得がいかない。往生際が悪いのは自分でもわかるのだけれど、どうしても千彩を手放したくないという想いの方が強い。

「吉村さん、あの…」

ギュッと両手を握り締めて話し出しそうとした晴人を止め、吉村が話し始める。低く、落ち着いた声で。

「この子はね、俺の宝物なんですわ。さっきも言うた通り、死んだ女の忘れ形見なんです」
「…はい」
「助けてもろてほんまに感謝してます。ありがとうございます」

深々と頭を下げられ、晴人にはそれ以上出す言葉が無かった。

事情はどうでもいい。これだけ愛されていれば、千彩はきっと幸せに暮らせる。
そんな諦めにも似た思いに、酷く胸の奥が痛んだ。

「HAL…平気?」
「え?おぉ、大丈夫や」

自分でもわかる。泣き出しそうな顔をしている、と。
けれど、それを千彩には見せたくなくて。テーブルに肘をついて顔を伏せた晴人の肩に、そっとメーシーの手が触れた。

「あの…さ。余計なお世話かもしれないけど、ちゃんと話した方がいいよ?姫と」
「話せって…何を…」
「ほら、顔上げて」

促されゆっくりと顔を上げると、心配そうに眉尻を下げる千彩が見える。どうにも堪え切れず、情けないと思いながらも涙が頬を伝うのを止められなかった。

「えっ!?HALさん?」

それに驚いたのは、吉村で。慌てて身を乗り出し、突然泣き出した晴人の身を案じている。

「どないしはったんです?大丈夫ですか?」
「いや…あぁ、大丈夫です。すみません」
「何や俺、気に障ることでも言いましたか?」
「いや…そんなことは…」

どうしても言えなかった。

千彩を連れて行かないでほしい。
自分の傍に居させてほしい。

プライドや、見栄、体裁。色んなものが入り混じって、晴人は口を噤んでしまう。

「HAL、ちゃんと言った方がいいよ?」
「いや…ええんや。ええねん」
「いいことねーだろ?ウジウジしてんなよ、男のくせにさ」

バシンと背中を叩かれるも、やはり言葉は出なくて。再び俯きかけた晴人の前に、白く小さな手が伸びて来る。

「はる…泣いたらイヤ。ちさが悪いの?ごめんなさい」

伸ばされた千彩の手は、小刻みに震えていて。その手を取り、晴人は震える声で訴えた。


「行く…な。行くな、千彩。俺はお前を離したくない…」


その言葉に、慌てて千彩が駆け寄って来る。ペタペタと、聞き慣れた足音をさせて。

「はる…ちさほかすの?」

不安げに晴人を見つめる千彩は、今にも泣き出しそうで。ギュッと抱き寄せると、そのままペタリとくっついた。

「ほかさへん…言うてるやろ」
「じゃあ何でそんなお別れみたいに言うん?」
「何でって…お前お兄様と一緒に行くんちゃうん…か?」
「何で?ちさ行った方がいい?」
「いや、せやから…」
「イヤ。ちさ行かない。ちさはると一緒におりたい。イヤ!わぁぁん」

声を上げて泣き出した千彩をギュッと抱き締めるけれど、「行きたくない!」「はいそうですか」で済むほど、世の中は単純には作られていない。現に目の前の吉村の目は、困惑して完全に泳いでしまっている。
「吉村さん、あの…」
「ははは。すんません、HALさん。うちの娘がご迷惑かけて」
「あぁ、いや、それは…」
「おいで?ちー坊。おにーさまが抱っこしたるから。な?」
「イヤ!」
「嫌やと?そんな我が儘言うてどないすんねんな。いつの間にそんな悪い子になったんや」
「ちさ悪い子と違う!」
「おにーさまの言うこと聞かん子は悪い子やぞ。ほらっ、HALさんにご迷惑やろ?ただでさえ一緒に住まわせてもろて迷惑かけとるんやから」

吉村が無理に引きはがそうとしても、当然千彩は一寸たりとも離れようとはしない。「おいで」「イヤ」の押し問答だ。
それを見兼ねて声を掛けたのが、第三者のメーシーで。ゆるりと笑みを携えて、千彩の肩をポンッと叩く。

「姫、ちゃんと説明しなきゃダメだよ?嫌って言うだけじゃ、姫の気持ちはお兄様に伝わらないからね?」
「きもち?」
「そう、気持ち。ちゃんとお兄様の話も聞いて、姫がどうして嫌なのかお兄様に伝えてあげなきゃ。ね?」
「…うん」

その一言でぐずる千彩を落ち着かせたメーシーをどこか他人事のようにして見ていた晴人は、「さすがだ…」と、言葉には出さずに称賛した。やはり自他共に認めるフェミニストは違う。と、思わざるを得ない。

「ちー坊、おいで?」
「なんで?」
「何で?って…ご迷惑やろ?」
「なんで?」
「ちー坊…HALさんはおにーさまとはちゃうんやで?」
「うん、知ってる。おにーさまはおにーさま、はるははる」

コクリと頷く千彩に、吉村ははぁぁぁっと深いため息を吐く。そんな吉村の苦労が、未だ千彩を抱き抱えたままの晴人には手に取るようにわかって。苦笑いを零しつつ、サラリと千彩の長い髪を梳いた。

「ちぃ、人と話する時はちゃんと相手の方見てせんとあかんで。な?」
「んー…」
「ほな、俺がそっぽ向きながらちぃと話してたらどうや?嬉しいか?」
「…悲しい」
「やろ?お兄様もちぃがそっぽ向いてたら悲しいんちゃうか?」
「おにーさま、ごめんなさい」

きちんと向き合って謝った千彩の頭を、ヨシヨシと撫でてやる。それで再び擦り寄ろうとした千彩を緩く制し、晴人は自分の隣へと座らせた。そして、それを見て吉村も向かいの席へと就く。

これはなかなか話が進まないかもしれない…と、三人の大人の思いは同じだった。
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