祖母
樺太での出発準備

昭和20年8月に、戦争に負けました。

それからと言うもの、村が騒がしくなり、毎日の様に「疎開だ!疎開だ!」とデマがとび、泣く人や心配する人で溢れかえり、とても慌ただしかったです。

父親は、今にでも日本に帰る様な事を言うので、いつ疎開になっても良いように、子供の手袋や靴下を編んだりして用意していました。
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