EVER BLUE

恋人は17歳

何とか仕事の都合をつけて、懐かしい地元の駅に降り立つ。何年ぶりの帰省になるだろうか。そんなことを思いながら、にこにことご機嫌な千彩の手をギュッと握り締めた。

「はるー、どうしたん?」
「ん?どうもせんよ」

にっこりと微笑んだつもりでも、その笑顔が引き攣ったものであることは承知していた。同じように、千彩の反対側に立つ吉村も難しい顔をしている。

「ハルさん、やっぱり今回俺は遠慮さしてもろた方が…」
「いや、一緒に」
「せやかて…」
「せっかくなんで。ね?」

本当は、一人で説得出来る自信が無いのだ。けれど、それを口にしてしまえば決心が鈍る気がして。懐かしい匂いをすぅっと胸いっぱいに吸い込み、晴人は二人をタクシーの中へと押し込んだ。

10分も経たぬうちに到着してしまうのだけれど、その時間がとてつもなく長く感じて。事前に一度電話で話したとは言え、色々と問われるだろうことを想定しながら、じっと黙り込んだ。

「はるもおにーさまも怖い顔」
「ん?」
「そんな怖い顔してたら、はるのパパとママびっくりするわー」
「んー…せやな」

今から実家へ連れて行くと言うのに、当の千彩はにこにこといつもと変わらぬ笑顔を見せている。お土産のケーキを大事そうに膝の上に置き、かなりご機嫌だ。

「これ、お仕事んとこの近くのやつ?」
「いや、それは駅で買ったやつ。あっこの食べたかったんか?」
「ちさのプリン入ってる?」

千彩のプリン好きは、相当なもので。デザートと言えばプリン。家で食事をする時も、外食時も決まってそうだった。

「ごめん。プリン無かったんや」
「えー!」

ガックリと肩を落とす千彩。どうやら中身のプリンを期待してのご機嫌だったらしい。笑顔が少し曇ってしまった。

「帰りにプリン買うたるから我が儘言うたらあかんぞ」
「はぁい」

大好きなおにーさまに叱られ、更にシュンとなる千彩。大人の事情はよくわからないけれど、どうにも重苦しい空気が苦手だった。

「話終わったらプリン買いに行こか」
「いいの!?」
「その代わり、にこにこしててな?」
「わかった!」

こんな時、千彩は扱い易い。ポンッと頭を撫で、近付くにつれ高まる緊張感を晴人はどうにか押さえ込んだ。


タクシーを降りると、もう既にそこには母と呼んでもいない姉の有紀の姿があって。息子、弟が連れて来た二人の姿に同時に息を呑んでいた。

「…ただいま」
「初めまして。私、吉村と申します」

深々と頭を下げる吉村とは対照的に、千彩はサッと晴人の後ろに隠れてしまった。それを見た吉村が、眉間に皺を寄せて千彩を叱る。

「こら!ちー坊!ちゃんとご挨拶せんか!」
「うー…」

背中に押し付けられる頭に、晴人も思わず苦笑いだ。

「父さんは?」
「もう帰って来はる思うけど」
「ほな取り敢えず中…入ってええかな?」

玄関先でするような話でもない。取り敢えず中に入れてくれ、と催促する。

「そうやね。どうぞ」

引き攣った笑みの母親に促され、三人は門をくぐった。


「あのっ…千彩です。こんにちわ」


吉村にバシンと背を叩かれ、千彩が遠慮がちに姿を出す。オフホワイトのレースのスカートをギュッと握り、どうにも居心地が悪そうだ。

「チサちゃんってゆうの?おいくつかしら?」

スリッパを出しながら、母が問う。チラリと視線を上げる千彩に、晴人はコクリと頷いた。

「17歳です」

目を見開いたまま、言葉も返ってこない。それもそうだろう。電話で「結婚を前提に付き合ってる彼女と、その父親代わりの人を連れて行く」と告げたのだ。母も有紀も驚きを隠せないでいる。

「晴人…」

沈黙を破ったのは、姉だった。

「何や、有紀」
「あんた…ほんまにアホやな」
「喧しい。有紀に言われたない」

有紀の言わんとせんことは十分伝わって来る。けれど、それを口に出してしまうのも如何なるものだろうか。

「はる、これ…」

じっと睨み合う姉弟の間に、遠慮気味に千彩が箱を差し出す。不安げなその姿に罪悪感を感じ、にっこりと笑って頭を撫でた。

「これ、母さんに渡しておいで?お土産ですーって」
「はるのママに?」
「あっちがキッチンやわ。そこにおるから」
「はるは?」
「俺はお兄様とあっち行ってるから」

リビングのソファを指し、行ってこいと促す。不安げに足を進める千彩を見送り、立ち尽くしたまま難しい顔をしている吉村の背をポンッと軽く叩いた。

「吉村さん」
「やっぱり俺は…」
「一緒におったってください。あいつ一人やったら心細いやろし」
「…はぁ」

どうにかこの場から逃げようとする吉村を引き止め、晴人は思う。普段とえらい違いではないか、と。

普段の吉村は、職業柄もありそれは堂々としていて。少々のことでは動じる素振りも見せないし、こんな風に小さくなっていることもまず無い。それほどに緊張感しているのだろうか。と、思わずふっと笑い声が洩れた。

「吉村さんでも緊張感するんですね」
「そりゃぁ…まぁ…」
「俺そんな姿見たん初めてです」

あれから何度か会いはしたが、やはり吉村はいつでも笑顔で迎えてくれて。そのおおらかさに、「認めてもらえているのだ」と安心感さえ感じていた。

「はるー、ケーキどれがいい?って」
「俺ええよ」

「ただいまー。お兄帰って来てる?」

晴人の返事と被って、玄関から新たな声が聞こえた。その声に、キッチンからひょいっと顔を覗かせていた千彩が慌てて駆けて来る。

「お兄ー?」
「おぉ」
「え?」

母や姉に続き、弟も兄の傍の二人の姿に固まった。

「挨拶くらいせんか」
「え?あぁ、えっと…」
「すみません。弟の智人です」
「初めまして。吉村と申します」

少し和んだだろう空気が、再び緊張感を取り戻した。あと一回は必ず訪れるだろうその感覚に、晴人は気が重くなる。

「はるぅ…」
「ん?ケーキもろておいで?」
「イヤ!」
「ははっ。ほなここ居り」

ギュッとしがみつく千彩の頭を撫で、ソファに再び腰を落ち着ける。同時に吉村のスーツの裾を引き、座るように促した。

「どうぞ。コーヒーで良かったかしら?」
「すんません。ありがとうございます」

運ばれて来たのは、お土産に持って来たケーキが三つと、アイスコーヒーが三つ。飲めない物を前に困った顔をする千彩を見かね、晴人が助け舟を出した。

「母さん、ジュース無い?」
「ジュース?」
「こいつコーヒー飲まれへんわ」
「あら。それはあかんね。ほな買うて来るわ」

ごめんね?と謝る母を引き止め、立ち尽くしたままの弟に声を掛ける。

「智、お前買うて来い」
「え?おぉ」
「オレンジジュースな。ついでにケーキ屋寄ってプリン買うてきて」
「プリン?」
「ほれ、金」

財布の中から千円札を二枚出し、「欲しいもんあったら買うて来い」と差し出す。それを受け取りに来た弟が、ついでとばかりに千彩の顔を覗き込んだ。

「何や?」
「あぁ…いや…」
「17や。さっさと行け」
「じゅっ…!」
「行け!」

シッシと手を振って追い払い、向かいに腰掛けた母にため息を一つくれてやる。どうせ母が話したのだろう。と、そんな恨みを込めて。

「…ごめん」
「まぁ、別にええけど。ちぃ、どないした?食べてええで?」
「…いい」

すっかり俯いてしまった千彩は、じっとケーキを見つめたまま黙り込んだ。人見知りで大人嫌いの千彩には辛かったか…と、そっと肩を抱き寄せる。

「大丈夫や。皆俺の家族やから」
「…うん」
「ちぃも家族になるんやで?」
「ちさも?」
「せや。だから心配要らん」

ゆっくりと頭を撫でてやると、遠慮がちに千彩が笑顔を見せる。漸く見ることの叶ったそれに、思わず晴人の頬も緩んだ。

「弟がプリン買うて来てくれるから、話終わったら食べよな?」
「はるの弟?」
「せやで。ちぃよりだいぶ年上やけどな」
「じゃあ、ちさのお兄ちゃんになるん?」

首を傾げる千彩に、「ちゃうがな」と吉村がツッコむ。漸く緩んだ表情に、晴人はホッと胸を撫で下ろした。

「ハルさんの弟さんは、ちー坊の義弟になるんや」
「ちさより年上やったら、ちさのお兄ちゃんじゃないん?」
「ちー坊、ちょっと黙っとき。アホがバレるわ」
「何で?そんなんおかしい。はる、ちさよくわからへん」
「わからへんなぁ。大人の世界は難しいな」
「難しい!」

むぅっと頬を膨らせる千彩に笑い声を洩らしたのは、向かいに座る母だった。

「えらい可愛らしいお嬢さんやね」
「おぉ。悪気は無いんやけどな」
「すんません。私の教育不足で…」
「いえいえ。可愛らしいお嬢さんで安心しました」

ふふふっと笑う母に、吉村は再び深々と頭を下げる。申し訳なさそうに眉を下げ、何だか情けない表情をしている。こうして見ると、やはり一人の父親だ。そう思わざるを得ない。

「あれは俺の姉ちゃんやから、ちぃのお姉ちゃんになるんやで」
「お姉ちゃん!マリちゃんと一緒やね」
「マリ?何でマリ…」

知らぬこととは言え、どうも晴人にはバツが悪い。慕うのは良いが、マリは晴人にとって元恋人なのだ。

「ちさが兄弟いないって言ったら、マリちゃんがお姉ちゃんになってくれるって言ってたよ?」
「あいつ…あの阿呆めが」
「マリちゃんあほなん?」
「せや。恵介と一緒や」
「けーちゃんはあほと違うよ?けーちゃんはちさの服いっぱい作ってくれて凄いんやから!」

めっ!と頬を突かれ、再び頬が膨れる。千彩にとって恵介は、大好きなお兄ちゃんなのだ。エプロンを作らせて以来、あれやこれやと服も作るようになった。しかも千彩のためだけに。その情熱を仕事に活かしてくれれば良いのに…と、どれだけ思ったことか。

「恵介って、あの恵介君?」
「おぉ。あいつにえらい懐いてんねや」
「そう。あの子人懐っこいもんね。元気してる?」
「相変わらずや」

うずうずと何か言いたげだった千彩に視線を遣ると、にっこりと笑って身を乗り出す。人見知りはするものの、その場の空気に慣れてしまえば千彩は恵介と同じく人懐っこい。やっと慣れたか…と、晴人も肩の荷が降りた気分だ。

「はるのママもけーちゃん知ってる?」
「知ってるよ。恵介君はそうやねぇ…晴人がチサちゃんくらいの年の頃から仲良しやからね」
「いいなぁ、仲良し。これね、けーちゃんが作ってくれたんやって」
「あら。相変わらず器用な子やねぇ。ママのこれも恵介君が昔作ってくれたんよ」
「ちさもエプロン作ってもらった!」

エプロンの裾を摘む母と、恵介お手製のスカートの裾を摘む千彩。どちらも嬉しそうだ。

地元を離れる時に「お世話になったから!」と恵介がプレゼントしたお手製のエプロンを、母はあれから10年近く経った今でも愛用している。もう随分とくたびれてしまっているそれを見、帰ったらまた新たに作らせようと決めた。

「誰がママや」
「え?お母さん。ママなんか呼ばれるの久しぶりでなんか恥ずかしいわ。晴人もまたママって呼んだら?」
「呼ぶか」

幼い頃は、姉に釣られてそう呼んでいた時期もある。もう20年以上前の話になるが。再び呼ばれて嬉しそうな母を見て、晴人も悪い気はしなかった。

ここはもう大丈夫だ。あとは父を残すのみ…と、隣で居心地が悪そうにしている吉村と、チラリと視線を合わせて無言で頷き合った。
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