K・K・K
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「マスター、香ちゃん、いつもと違うね。」
ワタリはここ1年このバーに通いつめていたので、今日の音色がいつもの切なさではなく、少し弾けているのに気がついた。
「音は敏感に演奏者の心を映しますからね。」
ワタリは少し離れた席で耳を済ませた。

「そうですね。・・・・、ところで渡さん。香ちゃんのCM出演の件ですが、本気ですか?」マスターは注文の飲み物を作りながら、それとなく聞いた。


「ああ。・・・・彼女は世に出るべきだと思う。もったいない。」
ワタリは力強く言った。どうやら本気のようだ。
マスターは眉をピクッとさせた。

マスターは香が声が出なくなった理由を知っていた。
香の母は昔からこのバーの常連で、マスターの所で香がバイトを始めたのも、香の母が『マスターの所ならいい』と言ったからだ。

マスターは香の音色がなぜ切ないか知っていたので、今日みたいな音色を香が出せるようになった事を、蔭ながら喜んでいた。

「でもね、渡さん。香ちゃんはご覧の通り声が出せません。」

「そんなの大した理由ではありませんよ。」
ワタリは笑いながら言った。
マスターはムッとして、
「いや大した理由ですよ。渡さん。」と言った。
「CMに出たら、どうしたって香ちゃんは世間の目に触れてしまう。彼女の音色は人を魅了しますからね。ご存じだと思いますが・・・。それでどうなると思います?」
マスターは言葉を続けた。

「あの容姿だ。すぐに人気は出るでしょう。しかし同時に、”声が出せないピアニスト”として、彼女は世間から追われる事になりますよ!。」

その顔に愛想笑いはなく、鋭い眼光がワタリを捕えていた。

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