K・K・K
ジャンポールバー
5分前に香はバイト先のジャンポールバーに着いた。

急いで制服からドレスに着替えて、楽譜を持つと、
店の隅にあるグランドピアノの前に落ち着いた。

店には数人の客がいた。


香は目を閉じて、ゆっくり、とてもゆっくりと指先を器用に動かした。
柔らかくて暖かい音色が店内に充満していく。

客も自然と顔が緩む。

音色はけっして会話を邪魔することはなく、
心地いい響きだけを残した。


「香ちゃ~ん、いつものアレやってくれる?」


マスターのアレは決まっていた。
香も大好きな曲。

”Let It Be ... ”

作曲者:Jhon W. Lennon & Paul J. McCartney のこの曲は、
ジョンの息子に宛てた応援ソングだ。

「落ち込むな!」、「元気を出して!」、そんな意味が込められているそうだ。

香もこの曲が大好きだった。


「香ちゃんの”Let It Be ...”は最高だね!」
マスターはついさっきまでカウンターの中にいたのに、
いつの間にかグランドピアノの脇で耳を傾けていた。

香も無言の笑みで答えた。


香がピアノを弾けるのは夜9時半までだ。
その後は、ピアノの片付けをして、
身支度をすると、次回の曲のリストをマスターに渡して家路についた。


ジャンポールバーから香の家までは、歩いて10分だ。
国道沿いにずっと歩いていくと香の家は見えてくる。
街灯が道沿いに並んでいて、夜なのにチカチカ明るかった。


香が家に着くと、母親はすでに晩御飯を食べ終え、床に就いていた。
テーブルの上には、

『おかりなさい。晩御飯作ったので食べて下さい。』と言うメモ書きと、
おかずが置いてあった。


香は自分でご飯をわけて椅子に座ると、
母が作った煮っ転がしに手をつけて、TVの電源を入れた。
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