マユツバ
忘却の青龍、追憶の兄弟

 イズナはわたしが知っている限り、いつも眼鏡を掛けていた。青みがかった瞳にコンプレックスを抱き、わたしがキレイだと言うと眼鏡の縁に触れる。

「そんな風に見詰められたら、マユ様に嘘が付き難くなります」

 って。これもわたしが知っている限りだけど、イズナは沢山の嘘をこれまで付いてきた。
 けれど、それらの嘘は指摘するものじゃない。むしろ、見逃さなければわたしが苦しくなる事ばかりだったんだ。

「イズナ? じゃないよね?」

 彼はイズナに似てはいるけど違う。呼び掛けると、やっぱりかぶりを振られた。

「いいえ、マユ様。オレは忘却の青龍ではありません」

 そして困った顔をされる。確かに。イズナならこんな露骨な表情を見せない。じゃあ、彼は誰だという疑問の答えは背後からやってくる。

「これはこれは青龍殿、随分とお早い事で」

 朱雀の声。青龍と呼ばれたキツネは先ずわたしをエスコートし、それから片膝をつく。

「召集に遅れてしまい、申し訳ありません。蛇共に時間を取られまして」
「は? またかよ、しっかりしろよな。お前、舐められてるんじゃねぇの? こうも頻繁にちょっかい出されやがって」

 白虎は腕組みし、青龍を爪先から値踏みする。青龍の出で立ちは焦げ臭く、着物の所々が破れていた。結果、見積もりは渋い。豪快な舌打ちが青龍の額をあげる。

「あ、血が――」
「お止めください。オレに触れないで」
 ぽたり、血が畳へ飛ぶ。行き場を無くしたハンカチを朱雀が茶化す。

「例え半妖でも、九尾の血に優しくされると、胸が騒ぐかい? 青龍」
「いえ、その様な事はございません。マユ様のお手を汚す訳には参りませんので」
「ふーん、だって」

 わたしを見る朱雀。

「何が言いたいの?」
「おい、半妖! 言葉には気を付けろよ? 本来、俺等はお前みたいなもんが口を聞ける相手じゃねぇんだよ!」

 白虎が割り込み、怒鳴る。
 わたしは自分の存在ごと噛み砕き兼ねない大きな声に、萎縮してしまう。

「でもさ、姫様が眠っちゃった今はマユユが九尾の名代なんだよ」
「そう言えば、姫様は?」
「鴉の街に無理して乗り込んで、妖力を吸い取られちゃったみたい。今は森で眠ってる」
「お祖母ちゃんは無事? 無事なのね?」

 わたしは青龍の隣に両膝を折り、玄武の肩を揺らす。と、長い髪の中から亀が出てきた。

「ちょ、ちょっと落ち着きなよ。姫様は死んでいないかと言えばそうだけど、無事かと言ったら、そうじゃない」
「どういう事?」

 亀はのそのそと、わたしの前へ。ぐ、と首を伸ばして語る。

「里は九尾の妖力で護られている部分が多い。九尾が眠りについた今、里を護る結界が弱まったとも言える。青龍の領地がさっそく狙われたのも、その為かもしれない」
「おい、亀。青龍の領地が狙われるのは今に始まった事じゃねぇだろ? 力が弱い奴が青龍の名を継いじまったからだ」
「――正確には、継がねばならなかった、だけどね」

 朱雀がまたわたしを意味深に伺う。


「……だから、何が仰りたいんですか? 朱雀様」
「イズナ。君はさっき、そう口走ったね? 彼は里に戻ってるのかい?」
「お止めください! 朱雀様!」

 青龍が勢い良く立ち上がり、わたしと亀は尻餅をつく。

「――イズナは裏切りの名でございます。その名を耳にすると、安らかな最期を迎えられなかった母上の顔が過るのです」
「あはは、ごめんごめん。悪気は無いんだよ? もし忘却の青龍が里にのこのこ戻っているなら、君や断罪された君の母君の為にも、ボクが討ち取ってやろうと思っただけなんだ」

 それはありがとうございます、青龍は力なく言葉を添える。

(イズナ)

 もう一回、心の中で語り掛けても、返事は返って来ない。 

 場には沈黙と血が流れる。わたしはハンカチを握り締め、鴉の男に言われた言葉を反芻した。

 段々、怒りが込み上げてくる。

「……何よ、人の事をバカにして!」
「マユユ?」

 ひっくり返り、足掻く亀を起き上がらせてから、わたしは立ち上がった。

「何が四方のキツネよ! じゃらじゃら着飾ったって、中身は空っぽじゃないの!」

 最初に派手な赤い羽を背負った朱雀を睨む。何よ、無駄に胸元を広げちゃって。健康的に焼いた肌を見せ付けたいだけじゃない。

「口を開けば後継の話ばっかり! 大体、自分の事しか考えられないのに、お祖母ちゃんみたいになれるはずないじゃないの! そういう独裁って絶対永くは続かないんだから!」

 次は人の事を認められない器が小さい、態度は大きいキツネを指差す。

「それにあなたも! こんな奴等に言いたい放題されて、どうして黙ってるの? わたしの知っているあなたに似ている人なら黙ってなんかない!」

 傷口にハンカチを押しやると、すぐさま染まる。でも、怪我をしても痛がらない所はイズナに似ていた。


「お祖母ちゃんが可哀想。ママだって、こんなキツネに囲まれてたなら、逃げ出したくもなる!」

 言いながら泣けてくる。言っても言っても言い足らない気持ちが、胸を締め付ける。

 なんだか、凄く息苦しい。気付けば、はぁはぁ、と口に出して呼吸していた。

「マユユ?」

 玄武の冷たい手が背を撫でてくれても、治まらない。今まで感じた事のない乾きにわたしは襲われている。
 どうして良いか分からず噛んだ唇から血が滲み、その鉄臭さが――美味しい。

 いや、美味しいって何。

 怒りに思考まで沸騰してしまったのか、自分の感覚が疑わしい。涙も止まらない。

(イズナ、ねぇイズナ、助けてよ、苦しいよ)


「マユ様!」

 急に足に力が入らなくなり、他人事のみたいに、わたしはこのまま倒れるんだと思った。
 四方のキツネが呆気にとられる中、懐かしい腕がわたしに差し伸べられる。

 あの腕にすがりたい。でも届かない。あと少し、あと少し、わたしの手が長かったら。

「銀色の狐火……」

 意識が途切れる前の一瞬、わたしは自分から銀色の炎が出ているの見た。
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