【B】星のない夜 ~戻らない恋~



「睦樹、お前まだ外にいるんだよな。
 何処にいる?」

「なんか……帰れなくてな。
 帰ったら……俺、紀天を怒鳴っちまいそうで」

「紀天を怒鳴る?」



ったく、こんなに精神状態が不安定の睦樹も俺が知る限り初めてのことだった。



「睦樹、priere de l'ange(プリエールデランジュ)で待つ。
 ちゃんと来いよ。話、聞いてやるから」


それだけ伝えて、そのまま電話を終える。


そのまま店の電話番号を表示させて俺はコールを鳴らした。



「お待たせしました。priere de l'ange(プリエールデランジュ)」

「瑠璃垣です。二人、席をお願いします」

「かしこまりました。奥のお部屋が宜しいですか?」

「可能ならば」

「ではそのように、支度しておきます」



電話に出たのは茂【しげる】さんと言う名の若い男。
電話の後は電車を乗り継いで待ち合わせ場所へと向かった。




priere de l'ange。


その店に初めて俺が行ったのは、悧羅学院に入学が決まった時。
父に連れられて出掛けたその店で、俺は見知らぬ女性にお祝いされた。

その時、初めて知らされた実母の存在。
その日から、この場所は俺にとっての秘密の場所になった。



最寄り駅から店までを速足で歩いて、店へと続くドアを開ける。




「いらっしゃいませ。
 あら、怜皇だったのねー。

 茂さんに聞いたわよ。奥の部屋でしょ。
 睦樹君、なんだか思い詰めてたわよ」



そう言って迎え入れた実母。
その隣には茂さんが少しだけ俺を見て、黙々とグラスを磨き続ける。



二人の前を通って奥の部屋へと入ると、その場所では青白い顔をした睦樹が
壁に背中を預けるようにして項垂れていた。



「遅くなって悪かったな。
 それでどうしたんだよ。顔色悪いぞ。
 そんなんだと、心【しずか】ちゃんが心配するだろ」


そう言って声をかけながら、アイツの近くに腰を下ろす。
それと同時に、個室へと運ばれるいつもの水割りセット。



「怜皇、後は自分たちでやりなさいよ。
 何かあったら声かけなさい」


それだけ言葉を残して、母は部屋を出て行った。

グラスに氷を入れて、水割りを二人分作ると
睦樹の傍にもそっとおいて、自身ののグラスを口元に運ぶ。


喉が渇いていたらしく、水割を飲み-して喉に潤いが戻ってくる。




「怜皇……咲空良ちゃんに今まで以上に甘えていいか?」




睦樹は絞り出すようにゆっくりと声を出した。



「咲空良が好きにやってることだろ。
 咲空良も、心【しずか】ちゃんと一緒に居られて楽しんでるよ。
 そんなことなら気にするな」


そう言って声を返すも、睦樹はまた無言になってしまう。


こんな風に精神的な弱さを見せる睦樹は長年一緒に居て初めてで、
戸惑いすら覚えるものの、それでもこうやって親友に純粋に頼って貰えることが内心嬉しかった。



「心【しずか】が再発した可能性があるんだ……。
 紀天が生まれたばかりなのに」

「心【しずか】さんが再発?
 何のことだよ」

「子宮がん。
 心【しずか】は大学時代に告知されて手術してる。

 紀天が無事に生まれてくれたけれど……
 今日、再発した可能性がありますって、主治医から俺の元に連絡があった。

 まだ心【しずか】には話してない。
 家に帰っても、アイツの前で笑える自信がなくてな。

 紀天もまだ生まれたばかりだろ」



そう言って睦樹が呟くたびに、アイツの辛さが俺の方にも伝わってくる。

辛い……って言うよりも、怖いんだろうな。


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