天使のチョーカー
 闇が島を覆い満天の星々が瞬く頃、昼間と違うざわめきと底知れぬ気配が辺りを占めていた。

月の無い夜。暗闇の中で朧げに輝く橙色の灯かりがひとつ。

 カジュマルの樹を囲う白い泥または土とタリ材を丸太で用いた独特な木骨造家屋でできた校舎から灯かりが漏れていた。弓なりの校舎は昼間より重みを増したかのように重厚で厳かにそこに在る。
頼りないランプの橙色の明かりに、照らし出される赤い縁取りをした丸窓からは、テーブルのにつき羽ペンを走らせるダージリンの姿があった。

「よいのですか・・・これで」

 メープル材の柔らかな肌色のテーブルの上にダージリンの向かいから手が現れ、すぐ姿を隠した。
テーブルの上に黒い革紐で作られた水色の宝石と白い鳥の羽を用いた宝飾物が残された。ダージリンは宝飾物を上からそっとなぞり、目を細める。

「よく出来ています。・・・長年かけた体も出来て精神的にも外で学ぶ時期に来ているのです」
「この私の羽と涙で出来たチョーカー・・・きっと彼女も喜ぶでしょう。しかし、あなたはよいのですか?これで」

 夜の帳の中静かに会話が交わされる。
繰り返される同じ質問にダージリンは立ち上がり、重いため息をつきチョーカーを握り締めた。その時純白の羽が部屋に舞う。純白の羽はランプの橙色を加え不思議な輝きを見せた。

「全て手はずは整っています。もう、後戻りはできない。・・・・今後の責任は全て私が負います」

表情の乏しい彼の顔から、気持ちを察するのは難しい。しかし、彼の菫色の瞳はわずかに苦悩を湛えていた。

「・・・全ては御心のままに・・・」

 突然丸窓を白い翼が覆い尽くした。
 もう、中の様子をうかがい知る術はない。ただいつもと変わらない夜がそこに在った。


「キメラ・・・キメラ」

誰かが呼ぶ声が聞こえる。夢なのか現実なのか・・・。綿のシーツに包まれたまま重い半身を持ち上げる。
手に柔らかなメープル材で出来たベットの感触を感じた。まだ醒めきらない体と頭をフル回転させて声のする・・いや、した場所を確かめた。彼女の体が硬くなり目が大きく開かれる。

「だ・・・れ・・」

 彼女は戸惑いと焦りを隠し切れない様子で、掠れた声で尋ねた。
窓際に黒い人影。窓から差し込む朝日で逆光となり黒く見えたのだ。
あまりの眩しさにまた目を細める。黒い人影はゆらりと動き背にある背丈ほどある何かが鳥の羽音に似た音を出して時々動いている。

「気持ちの良い朝です。さあ、皆が起きる前に・・神様からプレゼントがありますよ」
「神・・・さ・・ま?・・・それって人間が崇める偶像の名前じゃないの?」

 もっともな意見に翼ある者は苦笑いする。頭が冴えてきたキメラは、彼の姿をやっと認識することが出来た。

ウエーブかかった豊かな金髪は流れる滝のように長く、人懐っこそうなくるくると大きい瞳は海の底の様な瑠璃色。真っ白い絹で出来た布を纏い背には大きな純白の翼を抱えていた。
あの翼は本物だろうか・・・・・。それにしても、なんて綺麗な人。男とも女とも知れない中性的な面持ち。

「確かに、そうですね。人は僕を天使と呼ぶ。彼らが言う天使とはかなり違いますけど。さあ、おいで!時間がありませんよ」

 容姿に似つかない陽気な声が向けられる。おもむろに天井に片腕を上げた。真上に屋根の棟を見渡せるハンマー・ビームという構造で出来た、屋根を支える小屋組みが薄暗闇の中ぼんやりと見えた。側面から突き出た材木に葉をあしらった美しい彫刻が施されている。
鋭い閃光と共に辺りが光に包まれ息つく間もなく、既に校舎の外、正確に言えばキメラの部屋の真上、屋根の上に連れ出されていた。茶系で一枚一枚微妙に色の違うこけら板が美しく屋根を葺いている。
 翼ある者に抱かれたキメラは、朝露で光るジャングルと既にセルリアンブルーに晴れ渡った空を見渡した。
 彼の翼が大きく羽ばたきキメラを連れてリングのモニュメントへ導いた。海が朝日を浴びて眩い光を放ち、ゆらゆらと波のうねりにあわせて瞬いている。

「旅立ちの日こそ指輪の門にふさわしい」

 翼ある者はそう言いながら彼女の首に例のチョーカーを巻いた。ただ驚き戸惑っているキメラに優しく微笑みかける。

「さあこれで空はキミのものだ。」

一瞬言っている意味がわからなくキメラは首を傾げた。悪戯っぽく微笑んだ翼あるものはそっとチョーカーを指さした。

「飛びたいと強く願ってごらん」

 不安と期待が入り混じった表情でチョーカーに触れた彼女はいつものように願った。

 突然チョーカーの宝石が四方に白い光を放った。キメラは慌ててその光を隠すかのように両手で覆った。
しかし、その光は手の隙間をかいくぐりどんどん増して広がってゆく。その光の形は翼ある者の翼に似ていて初めは小さかったがみるみる大きくなりその翼で彼女をあたたかく包み込んで消えた。

「な・・・なんなの?」

 訳も解からず呆然とするキメラに、翼ある者はウインクした。

「君の背中を見てごらん。・・僕といっしょだから」

 意味ありげに笑う彼の言葉に、キメラは慌てて自分の背を見た。
彼と同様純白の美しい翼が双方あった。不思議なことに自分の意思で動かせる。

「さあ、飛んでごらん」

 言われるがままぎこちなく翼を動かす。風が起こりあたりの草花が彼女を中心に外側へ倒れてゆらいだ。

「さあ、もっと力強く!!」

 やや興奮気味に彼は体を前に乗り出す。
草花が激しく揺れ朝露がはじけ辺りに散らばり小さく輝く。勢いよく羽ばたいた翼はキメラを空へ高く誘い、空と風と海に祝福を受けているかのような喜びをもたらした。
翼ある者も彼女を追い羽ばたくと穏やかに語った。

「その光や君の翼は君以外誰にも見えない。これは秘事だよ。僕と君だけの・・・。誰にも話してはいけない。約束できるね」

 興奮で頬を紅色に染め、頭を上下に激しく揺さぶり頷くキメラ。

「ありがとう。ほんとうに、ありがとう!」

自然に彼女の頬を涙が伝った。

「僕の名前はハート。また、逢おうね」

 右手を軽く挙げ挨拶を済ますと空を滑るように羽ばたいて行った。その姿は青い空を舞う幸せを運ぶ鳩のように小さくなって空に溶け込む。


 後にキメラは無事修了過程を終え、旅立つ日まで心落ち着かなく時が経つのを遅く感じられた。
やがてダージリンの友ミルクティに迎えられこの島を旅立ち新天地東京での生活を送ることになる。
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