◇桜ものがたり◇

「十数年前、酒宴の帰りに、行ったつもりのない山で、遭難しましてね。

 一晩、山中で、さ迷ったのですが、それはもう言葉に表せないほどの

 恐ろしい思いをしました。


 樹木が襲いかかって来ましてね。

 一晩中、走って逃げ回りました。

 逃げても、逃げても追いかけられて、

 捜索隊に発見された時には、麓(ふもと)の桜林(おうりん)で、

 このように白髪(しらが)になって、気を失っておりました。

 たぶん、罰が下ったのでしょうね。

 お恥ずかしいことですが私のこころの闇が妄想となって、

 現れたのかもしれません。


 突然伺って妙な話をいたしまして、申し訳ありません」

 光祐さまの優しい笑顔に包まれて、

 文彌は、思わず恐怖の体験を話していた。


 話し終えると青ざめた顔色で身震いしながら苦笑する。


「そのようなことがあったのですか。

 さぞ辛かったことでしょうね。

 しかし、榛様、これからは、きっと、よい方に向かいますでしょう」

 光祐さまは、既に、こころの中で文彌を許していた。


 そして、優しい祐里のことだから、

 丁重に詫びている文彌を許すだろうと確信していた。

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