副社長は溺愛御曹司
ヤマトさんの袖のカフスボタンに髪が絡まったらしい。

足をとめると、横に立つヤマトさんが、もつれをほどいてくれているのがわかる。

さっきの痛みで、涙がにじんできた。



「ダメだ、数本だけ、切るね」



ごめん、と言われ、切る? と内心首をかしげていたら、ヤマトさんが身をかがめて。

ちょうど私の耳のうしろの、引っかかった髪のあたりに顔を寄せられた気配がして、身体が硬直した。


煙草の匂いと、体温と、息を感じる、と思ったら、ブツッという音がして。



「はい、とれたよ」



ヤマトさんは再び煙草をくわえて、カフスボタンに巻きついた髪の毛をほどきながら、全然数本じゃなかった、と慌てている。

犬歯で噛みきったんだろう。

髪に、そんなふうに触れられたと思うと、頬が熱くなるのをとめられなかった。



「あの、ここで大丈夫です。もう、すぐなので」



今日は本当にありがとうございました、と見あげながら、こんな言葉じゃ伝えきれないよ、と歯がゆく思っていると。

ヤマトさんがくわえ煙草で、にこっと笑った。



「俺も楽しかった。つきあってくれて、ありがとね」



うち、そこ? と煙草で進行方向のマンションの並びを指す。



「はい、そのグレーの…」



説明しかけて、声が消えた。

マンションの入り口の壁に、祐也がもたれているのが見えたから。




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