春秋恋語り


桜の花びらが私の声を彼に届けてくれたのかも……


そんなメルヘンを思いつくほど、今日の私の気分は上々。

今日も屋上で花見ランチ、ひとりの食事も楽しいものよ。



そうだ、桜を見せてあげよう。

画面を覗きながらアングルを決め、シャッターをきる。

彼のアドレスを引き出して、『お堀の桜は今年も綺麗よ。見られないのは残念ね』 とメッセージを添えて……送信完了。



昨夜、ひとりの食事を終えた頃、待ち焦がれた着メロが聞こえてきた。

電話にでるまえ、ひと呼吸いれて……



『もしもし、お元気ですか~?』


『元気だよ。それ、ちょっと古くないか? 若いコに引かれるよ』


『御木本 (みきもと) さんだから言うんじゃない。で、どうなのそっちは』



電話を待ってたのよと言いたいのをグッとこらえ、子どもの頃流れていた古いCMの台詞を舌に乗せた。

寂しかったのよなんて絶対に言わない。

向こうで頑張ってね、と背中を押した私の意地なんだから。



『忙しくしてるよ。この歳でも新人だからね。朝も早く出勤して、年下の上司の指示を待ってる』


『夜も遅いの?』


『あぁ、毎日毎日、チカチカのネオンを見ながら部屋に帰るだけさ。東京の空に星なんて見えないからね』


『東京って夜が明るすぎるのよ。そんなんじゃ、桜も見てないでしょう』


『朝の電車の中からチラッと見えるよ。だけど眠くてね、花見より睡眠だよ。
そっちはどうよ、そろそろ総会の準備だろう』



私の仕事を知り尽くしている彼だからこそ、こんな心配もしてくれるのだろうが、仕事以外のこと聞けないの? 

なんて思いながらも私の口は、「そうなの。今年は理事長交代の年だから仕事が増えそうよ」 と答えてしまう。



『そっか。役員改選もあるから忙しくなりそうだね』


『残業も増えるでしょうね。そうそう、伊東君、頑張ってるわよ』


『らしいね。ときどきっていうか、毎日のようにヘルプメールが来るよ。 

きっちり引継ぎをしたはずなのに、一人でやってるとわからないことが多いって言って』



あるある、そういうこと、私もそうだったわ、と数年前になった自分の新人時代を思い出しながら伊東君の苦労を思いやると、「アイツのこと頼むよ」 と、残してきた後輩を案ずる言葉があり 「わかったわ」 と答えると、互いに一拍の間があった。



『……梨香子、大丈夫か』


『うん、たぶん……』


『たぶんって、なんだよ』


『だって、新年度になったばかりじゃない。やってみなきゃわからないもの』


『そういうことか。頑張れよ』


『言われなくても頑張るわよ。それより、御木本さん、もしかしてまだ仕事?』



時計の針は夜の8時を示している。

彼の言葉通りなら、まだ仕事のはず。



『あぁ、まだ仕事してるよ。ひと息ついたから、そっちはどうしてるかと思って』


『やっと思い出してくれたのね。ありがとう。御木本さんがいなくても、ちゃんとやってるから。今は仕事一筋よ』


『うん、そうか。けど、無理するなよ』


『御木本さんもね。たまには声を聞かせて』


『わかった』



じゃぁ、と短い別れの挨拶を交わし、私たちの電話は終わった。

”梨香子 大丈夫か” って、そんな直球を投げられたら、私困るじゃない。

顔が見えない電話だから、新年度がどうのって言って何とかごまかせたけど、名前を呼ばれて一瞬目が潤んだ。


良かった、私のこと少しは気にしてくれてたんだ。

声も聞けたし、うん、これで頑張れそうだ。


新しい恋でも探してみようかな、なんてことまで考えて、そのまえに相手を見つけなくちゃと思いなおし、照れ笑いになっていた。

一本の電話に元気をもらって、忘れかけていた気持ちも膨らみはじめた。 


そのときの私は、自分の満たされた思いばかりに気をとられ、忙しい最中、なぜ彼が電話をしてきたのかなんて思いもしなかった。


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