猫と隠れ家
1.アイツに似ている?

マスターが元カレに似てるんだけど……




 『ネコ』と呼ばれていた。

「ふらっと人んちに寄って美味い飯食ってとことん眠ったら、ふらっと出て行く。猫みたいだな」


 だから『ネコ』。
 アイツの意地悪な声が、まどろっこしいほど耳に絡みついたまま。
 彼の匂いが消えて何年だろうか。彼はもう帰ってこない。

 





 週末の夜。婚約者と食事をして別れたところ。『美々』は細い路地に入って二軒目にあるカフェの扉を開ける。

 ここへ通うようになって二ヶ月ほどになる。最初はなんとなく入った。特に驚く一杯ではなかったが、なんだか気になった。次に来た時にもホッとしたのでまた来てしまう。そんな不思議なカフェ。

「いらっしゃいませ」
「グランマルニエコーヒー」
「かしこまりました」

 いつもオーダーを取りに来る無精髭の男性に美々はにっこり笑顔を見せて付け加える。

「ちょーっとだけ。グランマルニエ多めに入れてくれる?」
「よろしいですよ」

 彼もにっこりと微笑み返してくれる。そしてどこか可笑しそうだった。
 すっかり顔見知り、でもオーダーと支払い以外に会話をしたことはない。

 ざっくりとラフに着込んだ白シャツ、足首まである長くて黒いソムリエエプロン。たぶん、マスター兼バリスタ。

 ちょっと好きな顔なんだよねー。

 落ち着いた物腰、寡黙な職人。でも懐が広そうな、どっしり感。そして響く低い声。でも、と美々は窓の外を見る。でも『アイツ』じゃない。アイツはたった一人だけ。似ている男でも彼にはなれない。







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