あたしのトナリ。
* * *

「……ちょ、麻衣?」
 麻衣が酒に弱いと言うことは、慧子も由香里も知っていた。だからアルコール度数の低い酒を少しずつ飲むことしか出来ないということも。
 今回のことはまったくの善意からやったものだ。
 ずっと密かに想い続けていた宮地が突然婚約して、突然麻衣は失恋してしまった。ショックを受けるなと言うほうが難しい。
 だから慰めも兼ねて今回の会を企画して、普段麻衣の飲まないタイプの酒を勧めたのに。
「ゆかいさぁ~ん! これおいしいれすね~もっとくださぁい!!」
 酒に弱いと言ってもここまでとは予想していなかった。もうちょっとこう、軽い感じだと思っていたがここまでベタだとは。最早呂律も回ってない。誰だ、その愉快な名前の人間は。
「だぁめ! 麻衣ちゃん酔っちゃってるんだから、もうお酒飲んじゃダメー!」
「そうだよ。ほら、水飲んで」
 少し前まで煽っていた慧子と由香里もこれはさすがにまずいと思ったのか、麻衣に水をすすめた。しかし。
「いやぁだ~! お水おいしくなぁい!! お酒がいいのぉ~!!」
 完全に普段と真逆の、面倒くさくなってしまった麻衣に困惑した由香里が慧子を見遣ると、綺麗な額に青筋が1本走っていた。顔は笑っているが目が笑ってない。
(……慧子ちゃん、我慢の限界なのね……)
 元来短気な性格の慧子である。麻衣の手のつけようがなくなった時点でこうなることは、付き合いの長い由香里にはなんとなく予想がついていた。
「ど、どうしよぉ……」
 土壇場で冷静になるタイプの由香里がオロオロとし始めたその時。
「千葉さん? 何かあった?」
「っ、てんちょお!」
 救世主の如く現れたのは、質問攻めからやっと解放された宮地だった。少しやつれたように見えるところに、その質問の壮絶さがわかる。蛇足だが後に由香里が語るところによるとこの時の宮地は本気で後光が差しているように見えたと言う。
 宮地は慧子と由香里、男性スタッフと社員たちの屍の山、そして酔い潰れた麻衣を順番に見て顔を顰めた。
「高橋さん、それひょっとして桜井さん? なんでこんなことになってるの?」
「……まあ話すと長くなるから割愛しますけど、私と由香里でちょびっと飲ませたらこんなことに」
「嘘は駄目だよ、どこがちょびっと……あーあーあー、しかも日本酒やん! 桜井さんが酒駄目なん知ってるやろ?」
 思わず関西弁で詰め寄る宮地に二人は委縮した。普段は極力共通語で穏やかに喋る宮地が関西弁になるのは驚いた時か素が出る時。もしくは、店のスタッフが絡んだ時。宮地はスタッフたちのことを家族だと常々公言している。誰よりも彼ら、彼女たちを守りたいとも思っているのだろう。
「ん~……? みやじさぁん?」
 すると今度は麻衣が宮地に気づいたようで甘えた声をあげた、と思えばいきなり大きな瞳に涙をいっぱい溜めて泣き始めた。
「うわあああああんみやじさぁん! けっこんなんてしちゃいやあ!!」
「……アカン、これ面倒くさい感じのアレや」
 宮地さんどこにも行っちゃ嫌、みたいなことを泣き叫びながら宮地に抱きついて離れない麻衣を見てぼそりと言った言葉に慧子と由香里は首を振って同意した。絡み酒、なんと面倒な。
「桜井さん、もうお開きの時間だからさ、帰る用意しよっか」
「ほら麻衣、店長から離れな、帰れないじゃん」
「そうだよぉ~、てんちょお離したげて、」
「いやぁ!! はなしたらみやじさんけっこんしちゃうぅ~!!」
 宮地がやんわりと言おうが、慧子が引きはがそうとしようが、由香里が説得しようが、お開きの時間になっても麻衣は離れなかった。そのうち周りで宮地に関係なくどんちゃん騒ぎをしていたスタッフたちも何事かと野次馬根性を発揮して見物に周り始める。
 しばらく4人でそんな押し問答をしていると、遂に宮地がひとつ溜め息をついて折れた。
「……高橋さん、千葉さん、ありがとう、もういいよ」
「店長?」
 慧子が訝しげに問うと宮地は上手く麻衣を引きずらないようにしながら立ち上がり、鞄を手に取った。
「俺、桜井さんを送ってから帰るよ。ええと、桜井さんのお家ってどこだっけ? 知ってる人いる?」
「あ、あたし知ってます。えっと……確か江古田のあたりだったと思うんですけど……そうそう、このあたり」
 麻衣の同期スタッフがスマートフォンの地図アプリを起動し、宮地に見せながら説明する。
「わかった、ありがとう」
「店長、麻衣をよろしくお願いします」
 そういって慧子と由香里は、未だに何かをぶつぶつ言いながら泣く麻衣と猿にしがみつかれた木みたいな状態になっている宮地を、居酒屋の前で見送ったのだった。
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