弁護士先生と恋する事務員

 このダンディーなオジサマは




――数日後、先生の言葉は現実となった。



応接セットのソファーで向かいあうのは、神原瑶子さんと剣淵先生。


「どうですか。」


先生が穏やかな声で話しかける。


「はい、言われた通り、記録してみました。」


瑶子さんはバッグから一冊のノートを取り出すと、先生の前にスッと置いた。


「拝見させていただいても?」


「はい、もちろんです。」


瑶子さんがノートを開き、先生が書きこまれた文字を目で追っている。


私は静かに二人の前に緑茶を出した。


「…なるほど。どうでしたか、ご自分で書かれた内容を読んでみて。何か思う事がありましたか――」


「先生。」


瑶子さんは、きりっと引きしまった美しい顔を先生に向けると


「私、あの人と離婚します。もう変わりません、この気持ちは。」


憑き物が落ちたように晴れやかな笑顔で、そう言ったのだった。


~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*


ズズー。


先生と私は応接セットに座って、昼食後のお茶をすすりながら話をしていた。


「こっちが別れたい、あっちが別れねえと言って裁判になった場合、結婚生活を維持しがたい重大な理由を提示しなけりゃいけねえからなぁ。」


「それで瑶子さんに、ご主人との生活でどういう事が辛いのか、記録してもらっていたんですね。」


「ああ、そうだ。」


私はさっきまでパソコンに打ち込んでいた、瑶子さんのノートに書かれた内容を思い出していた。



『おはよう、おやすみ、今日は遅くなるよ、などの挨拶や普通の会話は一切なし。

夫が話しかけてくる事は、私や尊に対する不満、文句を言う時だけ。』


『夫が笑顔になるのは他人の目がある時だけ。

家族だけの空間では、常に睨む、咳払いやため息などの不快感を表す、怒った口調のみ。』


『外出すると毎回ひどく責められるので、友人と会う事もほとんどなくなってしまった』


『美容室へ行ったり化粧品を買うなど、自分にお金や時間をかけるとひどく責められる。そのためにまともに美容室へも行けず、だんだん地味になってくると、身だしなみがなっていない、それでも院長夫人かとまた責められる』


『私が少しでも楽しそうにしていると睨まれたり文句を言われたりする。

テレビを見て笑う事すらできない。』


『口癖は、“何不自由ない暮らしをさせてもらっているくせに。”』



―――読んでいるだけで、息苦しくなるほど歪んだ夫婦関係。


そんな内容がびっしりとノートに書き込まれていた。



「この記録は裁判の時に必要な資料になるだけじゃねえんだ。

神原さんのように、身体的暴力を含まない精神的暴力、つまりモラルハラスメントっつーのは目に見えないし巧妙に隠されがちなもんで、周りにわかってもらいにくい。

しかも『お前が悪いから俺は怒ってるんだ』と言って洗脳さてれいるから、被害者の方も自分が悪いんじゃないかと思いこんでしまう。」



ああ、なるほど。

前回ここへ来た時の瑶子さんの、自信なさげでうつろな様子を思い出す。



「今日の瑶子さんは、生気が戻ったって表情をしていましたよね。」


「自分の記録を読みかえしてみて、客観的に判断できるようになったんだ。

少し時間はかかったが、被害者が気づく事が一番大事なんだ。」


「…じゃあ、あとは裁判ですね。」


「ああ。やっと俺の出番だ。」



先生は自信たっぷりな顔をして、二カッと笑った。
 
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