黄昏に香る音色
「明日香ちゃん。上いこうか」

恵子が、カウンターから出てきた。

明日香はじっと、ステージを見つめている。

「明日香ちゃん?」

明日香は、振り返った。

恵子を見つめ、

「ママ…歌手ってなんだろ?歌うって、どういうことなんだろ」

明日香の言葉は続く。

「あたし…ママみたいに、歌いたかった…。でも、無理だったわ。あたしはあたし…あたしにしかなれなかった…。せめて、ママと健司さんのような感じを、あたしなりに表現したかった…でも…」

恵子は静かに、話を聞いている。

「和美さんに出会って、歌うことの厳しさを知った。理恵さんからは、恐ろしさとやるせなさ…才能や、それ以上を求めていく貪欲さ…あたしにはできないこと…」

明日香は、ぎゅっと手を握り締めた。

「あたしには…何かを捨てることも、何かを背負って歌うことも…できない。ただ、歌うことしかできないの!」

恵子は、明日香に近づき、

明日香の頭を抱きしめた。

「何かを捨てることも、何かを背負うことも…する必要はないのよ」

恵子は、明日香の顔を見つめた。

「みんなが捨てたり、背負ったりするのは…ただ歌うということが、できないだけなの」

恵子は、少し遠くを見つめた後、

「ただ歌うこと…それが、どれだけむずかしいことか…」

恵子は、明日香に微笑む。

「明日香ちゃんは今…あたしの為に、ここにいてくれる。あたしの体調が、悪いから。かずちゃんや啓介の為に、アメリカにいこうとしてる…そんなしがらみを、あなたは背負っているわ」

「あたしは、ママに教えてもらったの!トランペットも、歌も!それなのに、あたしは何も…お返しをしていないわ」

恵子は首を横に振り、

「もう十分返してもらった…。あなたに、トランペットを押し付けたのは、あたし。あなたは、立派になったわ。もう…教えることもない。1人の歌手の誕生から、成長を見てこれただけでも…幸せよ」

「ママ」

明日香は泣いていた。

「泣き虫なのは、変わらないわね」


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