やむ落ち。

フラグが立たない女

 上司から呼び出されて、打ち合わせスペースに隆はやってきた。
 ここ数年のお勤めではあるが、同じ大学出身の新卒の教育係をさせられているからだ。

「お。鈴木君、君が担当する新卒紹介するよ」

 む。と隆が、目を向けるとちょっと猫背気味の茶髪の女が立っていた。
 うわー。だせー格好、そう隆は一発でその新卒を評価した。
 ひざ下の中途半端な丈の黒い色気のないスカート、どこのおばさんショップで買ったんだ?というような微妙なレースのついたブラウス。
 もう絵にかいたようなダサい新卒女子である。
 毎年のことだが、なぜに日本の大学とアパレルはこういうダサいスーツを作り続けるのか?とまじめに聞きたい。真っ黒の、このダサいスーツで無個性を演出してんのかよと。あと女子は何で後ろで髪の毛ひとくくりな訳だと。いろいろ突っ込みたいところがあるが最大に突っ込みたいのは、個性を殺させてなんかいいことあんのかよ、ということだ。

「は、はじめまして! す、鈴木桜です」

 桜はぺこんとおもちゃのようにお辞儀をした。
 背はまぁまぁ高いし、体のラインも女性らしいのに硬質なイメージを残す。
 素材はいいのになーと、隆は反射的に思った。

「3ヶ月間、君のチューターを勤める鈴木(たかし)です。お互い鈴木同士なんだな。よかったら、みんな隆《りゅう》と呼んでるからそう呼んでもらえるか?」
「は、はい」
「俺は桜って君のこと呼ぶようにするから」

 隆は甘さの少ない、精悍な笑顔で言った。
 この段階で普通の女子は、ぽーっとなるのだが、桜はまったく感慨なくうなずいた。
 そこで隆は初めてこのダサい新卒女子はちょっと面白いのかも、とか思った。

「じゃー私はここで失礼するよ。鈴木君、後よろしくね」

 課長から桜を引き継ぎ、打ち合わせスペースに座る。
 マニュアルにしたがって、毎朝、隆に毎日の業務内容を報告することや、社内の基本的なルールなどを教えた。

「まぁ、そんな急に覚えれるわけでもないから徐々に覚えていってくれればいいとおもうから」

 ちょこっと雑談しようか、と前おいて隆は桜に尋ねた。

「桜は何でうちの会社受けたんだ?」
「あ、私昔からカエデのコンパクトオーディオプレイヤー大好きで…」

 その後、桜はしゃべりまくった。イヤホンの低音の響きについては特にこだわりがあったらしく、製品については熟知している隆も驚くような知識である。
 女子の割りにデジタルガジェットが大好きということが非常に伝わってくる。

「あ…、すいません。しゃべりすぎですよね」

 ちょっと萎れて項垂れる桜を見て隆はほほえましくて笑った。

「お前結構面白いなぁ」
「はっ、すいません。なんかオタクっぽいですよね」

 いやいや、面白いから俺、桜をちゃんと教育することにしたわーと、隆はちょっと意地悪く笑った。

「だから最後までついてこいよ?」
「は…はいっ」

 猫背がそのときだけ伸びて、生真面目な表情で桜が返事をした。

***
 新卒なのになぜか、居残りを命じられ、すでに時刻は21時を過ぎていた。

「うううー。今日も終電かなぁ…」

 きゅるきゅるとお腹が鳴るのを抑えつつ、桜はエクセルでデーターを作成していた。
 新卒の同期たちは初任給が出た今夜、みんなで飲みに行ってるというのに。
 それもこれも、自分のチューターのせいだ。
 『桜をちゃんと教育することにしたわー』という宣言の元から、桜の地獄は始まった。初日は無事定時に帰れたが、翌日からしごきは始まった。
 日中は、研修もしくは、仮に振り分けられた部署でのほぼ雑務のような仕事。そして定時後はなぜか、隆の部署の打ち合わせスペースに居残りで、マーケティングデーターの作成を頼まれたりと、これ単に隆の仕事の手伝いじゃね?みたいな業務をこなしている。
 イケメンチューターでよかったよね!と、同期の女子達からうらやましがられたのは、ほんの3日ほどだった。桜ちゃんのチューターは人の皮をかぶった鬼だという説が、約1ヶ月間で同期には浸透した。

「よっ。状況どんなカンジだ?」

 人の皮をかぶった鬼が打ち合わせスペースに顔を出して、スタバのコーヒーを差し入れてくれる。

「一応作ったんですけど見ていただいてよいですか?」

 作ったパワーポイントの書類をPC上で展開していく。
 まず、パワーポイントの全体趣旨を一旦隆が聞いて、全体的な見直しをしていく。その際、グラフの色指定は目立たせたいところはこういう形にして色を統一することで、視覚的に伝えるなどの細かいアドバイスを伝えていく。さすがに、そんなに難しいものではないとはいえ、一ヶ月も鍛えられると、大分チェックは減ってきていた。

「じゃー、これからこの直しますね」

 桜が素直に修正を始めようとするのを、隆は止めた。

「これは明日でいいぞ。それより腹減っただろ。飯でも食いにいこうぜ。今日給料日だし、おごるぞ」
「マジですか! やた!」

 今日はきゅるきゅるなる腹を押さえずに安眠を貪れそうだ、と桜は単純に喜んだ。その様子を見て隆は普通ここは、二人きりとか意識する局面だよなーとかちょっと苦笑いをする。まったく持って、桜は面白いと思う。恋愛フラグをことごとく無視するというか気がつかない。

 隆が桜をつれてきたのは、会社の程近い、汚い雑居ビルの地下だった。
1階の階段のところで、カタコトな日本語で客引きをする恰幅のいいおばちゃんたちに気おされつつ、隆の後ろについて行った。
 小さい店が1フロアに10店舗ほど展開されていて、隆は迷わず一番奥の焼き鳥屋の扉を引いた。

「チーッス!」

 店は10名入るかはいらないか位のカウンターのみの店で、親父が一人でやってるような感じだった。

「おっ、隆じゃないか」

 カウンターに座る客たちが次々と隆に挨拶をする。どうやら全員知り合いだったらしい。入れないかもーというくらい人がいたが、全員が少しずつ詰めてスペースを空けてくれた。

「桜、生でいいか?」
「あ、はい」

 注文をてきぱきとしてから隆がカウンターの左右を見てよく通る声で桜を紹介した。

「今年俺が面倒見てる鈴木桜です。よろしくしてやってください」

 周りからオーとか声がして、名刺がなぜか回ってくる。全員カエデの関係者ばかりだ。この店はカエデの社員のたまり場だったらしい。値段も安く、軍鶏を使用した焼き鳥は歯ごたえがしっかりしててうまい。しかも焼酎だけでなくワインも銘柄は少ないが用意されている。会社から5分ほどでこれるし、これはたまり場になるであろう。桜はまだ名刺はないので、相手の名刺を見て、挨拶をそれぞれ返す。同じ会社なのに名刺交換…しかも、まわして挨拶って乱暴だなーと思いつつ、目を白黒させた。
 開発者や、営業所、人事部の人間やらさまざまだ。

「なんか随分厳しくしつけてるんだって?」

 隆のすぐ隣に座る人事の係長を名乗った男が笑いながら聞いてくる。

「人事で問題にでもなってるか?」
「いや、最初にお前が人事に許可取りに来てるしな。結構食らいついてて、がんばってるっていう感じで聞いてるけど、桜ちゃん、もし隆の下がいやになったら、俺に連絡するんだぞ?」
「あ、ありがとうございます。 でも大丈夫ですよ。ちゃんと鍛えていただいてるって思ってますから」

 にこやかに桜は答えた。この一ヶ月見てて思ったが、隆が自分より先に帰ることはなく、朝も自分より先に来てるのも知ってる。自分の仕事より桜の指導を優先しているのにも気がついていた。

「桜、野方さんだ」

 は?とか思って振り返ると2人ほど横に40代くらいの温和な眼鏡の男がいた。

「野方さんは、桜が好きなGTX-EN98の調整された技術者だぞ」
「え!」

 GTX-EN98は桜が初日に特に隆に熱く語ったイヤホンだ。
 わーー。どうしよう、どうしようと、わたわたとしている桜をほほえましそうに野方が見て話しかけてくれた。
 その日いろんな社員と話をしつつ、ほろ酔い加減で桜は店が終わるまでみんなので飲んだ。店を出るときにいろんな人間から飲み会をするときは誘うからまた飲もうな、などと口々に言われて帰路につく。

 たまたま方向が一緒なのは隆だけだった。

「隆さん、今日はありがとうございました」
「ん。楽しんでくれてよかったよ」

 いやもう憧れの開発者やら、いろんな部署の面白話が聞けてこれ以上楽しいことはなかった、素直に隆にそれを伝えた。

「お前やっぱ面白いなぁー。そういえば、桜は初任給どう使うんだ?」
「新しいコンパクトオーディオプレイヤー買いたいなーって思ってるんですけど」
「それはちょっと我慢しろ」
「は?」
「同期でセンスのいい女子はいるだろ? そいつ誘って買い物にいけ」

 頭の中が「???」で頭がいっぱいになる。

「お前ダサいから、服買って来い」

 ダサいと直球で言われてちょっと桜はへたれた。

「素材はまぁまぁ、いいんだからさ~。明日ミーティングのときまでに、一緒に買い物いってくれそうな女ピックアップしとけ。後、猫背直せ」

 じゃあな。といって、隆は恵比寿で降りていった。
 ぇー。ダッサいって、ダッサいって…と桜はちょっとつぶやいてしまった。
< 3 / 6 >

この作品をシェア

pagetop