花は花に。鳥は鳥に。
 女は。特にわたしという女は。

 かなり現金に出来ているようだ。


 ちょっとしたお得感で、ナーバスな気分がかなり和らいだ。

 あの板前さんに感謝したい。

 そういえばと、思い出してみればかなりのイケメンだった。

「なぁに、遙香。にやにやして、気持ち悪いわねぇ。」

 そんな事を言う母も充分、意地悪なニヤニヤを顔に貼り付けていた。

「お母さんだって、にやついてる。」

「母さんは別ににやついてないわよ。」

 母は否定して、今度は澄ました顔を取り繕って横を向いた。

「ねえ、お母さん。

 さっきの板前さん、イケメンだったよね、ドキドキしちゃった。」

「やっぱり。遙香もそう思った?」

 母は小娘のように嬉しげに、わたしに同調してきた。

 母娘だな、とこういう時は思う。


 わたしも、男で失敗したばかりだというのに、懲りない。

 いいや、別にゲットしたいとか思ったわけじゃない。

 そういう意味では、しばらく男はいいやと思う。

 そういう感情は関係なしに、イケメンを見ればトキメクものだ。

「カニ、美味しい。」

 澄ました顔で、わたしは話題を変えた。

 味噌も美味しかった。

 仲居さんのお勧め通り、豆腐には特によく合って美味しかった。


 母は、一通り鍋が空いた頃合いで厨房へ連絡を入れた。

 そうしてほしいと言われていたからだ。

 ほどなく客室のドアが開く音が聞こえ、襖が開いた。

「失礼いたします、」

 仲居さんがそそくさと進み出て、空いた鍋にご飯を投じた。

 テキパキと、残り汁はあっという間にカニの雑炊となった。

 鍋が空いたら教えてほしいと言われていたが、このためだったらしい。

「カニ鍋はやっぱり最後は雑炊ですよって。

 溶き卵が半熟くらいまでは触らずに、じーっと待っとりますのんが、美味しゅう頂くコツですのんえ。」

 京都のはんなりとしたイントネーション、鍋の中で黄色い膜がぷくぷくと小さな泡を作り始めていた。

 すいすいとオタマを掻きまわして、仲居さんはコンロの火を止めた。

「はい、出来上がりどす。お後はごゆるりと。」

 畳に両手をついて、一礼してから仲居さんは下がった。


 鍋の中は鮮やかな色彩で満ちていた。

 カニの出汁がよく利いているんだろう。いい匂いがする。

 ご飯粒も潰れることなく、艶やかに光っていた。

 まだらの黄色い卵とじがご飯に絡んでいる。

 刻みのりが蒸気を吸ってしんなりと、黒い照りで彩りを添えていた。

 お茶碗へよそってから、あさつきをパラリと撒く。

 卵の黄金色と真っ白のご飯、海苔の黒とあさつきの新鮮な緑。

 食欲の涌く色使いだ。

「いただきます、」

 改めて、手を合わせた。

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