炎獄の娘
「お父さま、どうなさったの?」
 娘に声をかけられてアルフォンスははっと目の前の事に意識を戻した。考えに耽っていたのはほんの数瞬であったが、ファルシスも今のやりとりを聞いていたらしく、やや気遣わしげな視線を向けてきている。
「今のは……」
 ファルシスが言いかけたが、アルフォンスは息子を制して、心配ない、と応える。
「盛大な舞踏会が始まるのだから、楽しみなさい」
 先程までの目立ちようを考えると、ユーリンダは先に館へ帰してしまいたかったが、アルマヴィラを発つ前からこの舞踏会を楽しみにしていた娘に対して、さすがにそれも酷であろうと思い、かれは二人にそう言った。
「あまり遅くならないように帰るから……ファルシスは残っても構わないが」
 華やかな舞踏会の夜、中庭の茂みや衣装部屋、あちらこちらのちょっとした隠れ場所から若い男女の恋の囁きが漏れ出てくるのはお決まりの事である。娘にはそのような事に触れさせる訳にはいかないが、息子は好きにさせておくのが大貴族の父親としては普通の考え方である。アルフォンス自身とてまだ若く、望みさえすれば、逢い引きを楽しんで愛人の一人や二人持ったとて世の非難を受けるような事もないのだが、生憎アルフォンスには愛妻以外の女性には、そのような視点からはまったく興味が持てない。人柄と容貌と身分、どれをとっても非の打ち所がないアルフォンスは、既婚の身となって十数年となる今でも宮中の婦女子に絶大な人気がある。『お堅いルーン公を誰がおとすか』と宮中で秘かに競い合う恋多き貴婦人達の駆け引きがあるのも知っているし、幾度となくそうした誘いを受けた事もあるが、かれの目にはそうした貴婦人は皆一様に『ふしだら』としか映らない。生真面目な恐妻家のエーリクでさえ、一時期、さる未亡人との間を噂されたことがあるくらいであったから、正妻への愛情のみを貫き通すアルフォンスは、恋の彩多き華やかな宮廷にあっては、かなり頑なな道徳観念を持っていると評されてもやむなき事であったのかも知れない。
 ともあれ、今夜のかれの『逢い引き』の相手はエーリク・グリンサム公である。しかもかなり深刻な話になりそうである。足取りも軽やかに舞踏会の会場へ移動する子どもたちを眺めながらアルフォンスは溜息をついた。

 ユーリンダの頭の中は、ただひとつの事でいっぱいである。この華やかな記念すべき大舞踏会で従兄のアトラウスと踊るのだ、という夢を叶える事で。
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