炎獄の娘

26・手がかり

 アルフォンスが遂に根負けしたと見たスザナは、してやったりと言いたげな笑顔を浮かべながら尋ねた。

「それであなたはどこへ行こうとしていたの?」
「……王立図書館だ」

 二人を排除する事を断念したアルフォンスは、初めて考えを口にした。

『アルフォンス。私は……私は、とんでもない秘密を偶然に知ってしまったんだ。知っての通り、私は王立図書館の司書長の権利を貰っている。私は……』

 エーリクがあの庭園で遺した言葉が、今やたった一つの手がかりである。金獅子騎士団長が現れなければもっと詳しい事が聞き出せていたかも知れないが、過ぎた事は戻せない。アルフォンスはスザナとリッター、そしてエクリティスに、エーリクの言葉と鍵の事について説明した。イサーナのした事や彼女が知っていそうな事については一切触れずに、彼女からは、エーリクがこれを自分に渡そうとしていたようだが、大事な遺品なので明朝には必ず返して欲しい、と頼まれた事にしておいた。

「その鍵の先にあるものを知った為にエーリクは殺された……そういう事なのね」

 気丈なスザナもさすがに少し青ざめている。大貴族を暗殺してでも護られねばならない何者かの秘密。それを知るという事は、己にもエーリクと同じ運命が降りかかる危険を自ら呼び寄せる事だと、話を聞いて実感できたのだ。

「そうだ。今ならまだ何も知らずに帰る事が出来る。きみも、どうだね、リッター?」

 二人の気が変わらないかと僅かな望みをかけて問うてみたが、

「ここまで来て今更怖じ気づく訳がないでしょう」
「そうよ。一層この目で確かめたくなったわ」

 と二人は虚勢も混じっているのかも知れないがきっぱりと言った。アルフォンスは軽く溜息をつき、

「エク、いざという時はスザナを護ってやってくれ。とにかく、女性を危険な場所に連れて行く羽目になったのはわたしがうまく説得出来なかったせいに他ならないんだから」
「は、仰せのままに」

 とエクリティスは一応頭を下げたものの、無論彼にとってはアルフォンスの安全が第一の優先事項である。主が何と言おうともこれは決して変わりはしない。

「オリウスを呼びましょうか?」

 とスザナが言った。彼女の――ローズナー家の有する碧鷲騎士団の団長の名だ。だがアルフォンスはかぶりを振った。

「あまり人数が増えると目を引くし、秘密がどんなものであるか判らない以上、これ以上関わる者は増やさない方がいいだろう。勿論、知った後できみが彼に話すかどうかは、きみの判断次第だが」
「そうね。まあいいわ、わたくしは自分の身は自分で守れるから。エクリティス、わたくしの事は気にしなくてよくてよ」

 アルフォンスに心服するエクリティスの気性は昔からよく知っているスザナは笑顔で言う。細い腰には実戦向きの愛用のレイピアを穿いている。

「時間がない。では行こうか」
「王立図書館と言ってもかなりの広さがありますが、限られた時間で果たしてその鍵の合う扉を見つけられるでしょうか? それ程の秘密ならば扉自体が隠された場所でしょうし」

 リッターの言葉にアルフォンスは、

「一応、心当たりはあるんだ。それが間違っていれば、ほぼ諦めるしかないと思っている」

 と答えた。




『エーリク! ここに何かあるよ!』
『隠し……扉? わあ、すごいな。禁書でもあるのかな』

 少年の日に、非公開書庫の地下にこっそり入り込んでいて偶然見つけた、更に地下へと下りるらしき扉。古びた書物の山の下になっていて、長年誰一人開けた形跡もなく、少年二人の胸は躍ったが、結局、鍵がない限りはどうしようもない事を悟り、叱られないように元の通りに古書の下に埋めた。

『気になるなぁ。大人になったら司書長に鍵を貸して貰えるかな』

 アルフォンスの言葉にエーリクは静かに笑った。

『ぼく、父上の跡を継いだら、ここの司書長の権利を貰えるようにお願いするよ。代々の司書長の権利は、実質的な管理者とは別に、名前だけは有力な貴族が持つものだからね。司書長になればこの非公開書庫の書物も読み放題だ。ぼくは前からそうしたいと思ってたんだ』
『へえ、きみは本当に書物が好きだものなあ。ここの鍵を手に入れたら、一緒に入ってみよう』
『うん、約束だ』


 だが、少年の頃の約束を長い年月の内にアルフォンスはすっかり忘れ去っていた。思い出したのは、エーリクが爵位を継いで願い通りに王立図書館の司書長に任命されてからだ。

『アルフォンス、王立図書館の約束を覚えているかい?』
『王立図書館?』

 暫し記憶を探ってから、アルフォンスはあの日の事を思い出した。

『ああ! あの時の! 鍵が見つかったのか?』

 エーリクは少し悲しげに頭を横に振った。

『もう何十年かそれ以上も前に紛失されている、と前の司書長から言われた。禁忌に触れるから開けてはいけない、という言い伝えも。だけど私は諦められなくて、口の堅い錠前職人を連れて行ったんだ。それでも結局、特殊な鍵だから扉を壊さなければ無理だと言われてね。あの鉄の扉を壊すには相当大勢の人間が必要だろうから、実質上不可能という訳だ』
『なんだそうなのか、残念だな』

 その時の会話はそれで終わった。だが、エーリクはその後に何らかの方法で鍵を手に入れたのではないだろうか。代々の名ばかりの司書長と違って、暇さえあれば図書館に足を運んでいたエーリクだった。建物も司書長室も、建国の頃から変わっていない。どこかに紛れ込んでいたか、或いは厳重に封じられていたものを、偶然に見つけ出した可能性は充分考えられる。
 エーリクの遺した言葉があれを指すのでなければ、他にもう鍵の使い道を考えつくのは、限られた時間の内では無理な話だった。





 スザナも男装の上に古ぼけたマントを羽織り、大貴族とは思われもせぬ出で立ちで、三人の公爵はルーン家の騎士団長を供に夜闇に歩み出た。王宮内に入るのは身分を明らかにせねば困難な事であるが、出るのはそう難しくはない。通用門から出る時に門兵に誰何されたが、男装のスザナが下級貴族であとはその従僕だと言うとあっさり通してくれた。

「今夜は色んなお貴族様がお見えだからなぁ」

 背後でわざと聞こえるように兵士が言ったのは、貴族の身分を名乗りながらも馬車立てではないことに対する嫌みである。宮廷で大した役職もなく、貴族階級とは言っても馬車を持たず、乗り合いで参内したのであろう下級貴族に対して、それでもこんな祝賀の夜に見回りを勤めねばならぬ己らの職務と比較して、聞こえよがしの嫌みも言いたくなったのであろう。来る時は寄せる馬車の中でもひときわ目立つ豪華な紋章つきの三頭立てで通過した三人は、苦笑するしかなかった。



「王立図書館まで遠くない。歩こう」

 そう言うとアルフォンスは先頭に立って街路を進み出した。宴の後片付けの準備に入る為、夜中の通用門と言えども人の出入りは常の数倍はある。だが大貴族たちは、こんな門を出入りする事自体が初めてである。アルフォンスは、人に気づかれぬようフードを目深に下ろしたままでは、道に迷ってしまいそうだという事に気づいた。

「エクリティス、先に立ってくれ」

 やむなくそう言うと、リッターに笑われた。

「珍しい瞳を持つと苦労しますね」
「ああ、紋章をぶら下げて歩いているようなものだ」

 溜息混じりにアルフォンスは応える。

「隠れて何かを企んだとしても、髪の一筋でもこぼれ出たらそれを見た者が証人になってしまうわね」
「別に悪い事をする訳じゃないのだからそこまで気にしても仕方がない」

 息抜きに町に忍びで出ても、店でフードをとる事も出来ないのは不自由極まりないが、それがルーン家に生まれた者の宿命と少年の頃から身に沁みている。勿論かれはいかがわしい場所にいかがわしい目的で出かけるような事はしないから、これまでは、万一町の者に知られても困る程の事はないとしか思っていなかった。

 王宮に間近な区画には、様々な神を祀る神殿や騎士団の練兵場や宿舎、国政に携わる数々の役所などの立派な建物が建ち並ぶ。王立図書館は王立学問所と隣接してその中にあった。まだまだ祝賀に湧いた民衆が集まり騒いでいる、王宮前広場に面しているが、夜には正門は閉められており、門番のいる通用門に行くには裏のやや薄暗い路地を通らなければならなかった。整然と敷き詰められた石畳の路地は建国当初からのもので摩耗はあるものの、街路の整備は行き届いており汚物など一切ない。浮かれ騒ぎの喧しさは深夜の風が運んでくるものの、この堅苦しい一画で立ち騒いでいる者の姿はなく、さっきまで目にしていた人出が嘘のように全く人影はなかった。こんな所で万が一曲者に囲まれでもしたら危うい事になる可能性もあるとアルフォンスは思ったが、今のところそういった気配は全く感じられない。



 通用門に着くと、すぐ内側に番小屋があるが、誰も出てくる様子はない。

「鍵がかかっているわ」

 とスザナが言うと、

「門番が眠っていては不用心ですのでわたくしがかけておきました」

 と澄ました顔でエクリティスは言って、懐から門の鍵を取り出した。目を丸くしているスザナとリッターの前でエクリティスは門を開けて三人の大貴族を中に入れ、番小屋で眠りこけている門番の懐に鍵を戻しておいた。

「どういうこと?」

 と尋ねるスザナに、アルフォンスはただ、

「うちの騎士団長は有能なのさ」

 と返しておいた。

 月明かりのみで足下もおぼつかない図書館の裏庭を、エクリティスが用意していたランタンで照らしながら四人は歩いて行った。大きな影になっている本館の窓に全く灯りは見えない。息をひそめ、誰も何も言わない。湿った地面の上に降り積もった枯葉を踏む音がなければ、こんな馬鹿げた冒険をしているという現実感がなくなってしまいそうだった。学問所で学んでいた時分には慣れた場所だったが、この数年は殆ど足を踏み入れる機会もなかった。少年の頃によくエーリクと歩いた小道を踏みしめながら、改めてアルフォンスはふと、エーリクは既におらずあの日々が戻る事もないのだなと思った。だが勿論今は感傷に耽っている時ではない。

「右の建物だ。許可を貰った者しか閲覧不可の非公開書庫……」

 大きな影を従えて聳える三階建ての煉瓦造りの本館に比べるとかなり小さい建物だが、堅固な石壁は手入れが行き届き、頑丈な樫材の分厚い扉は無論しっかりと施錠されている。だがエクリティスは番小屋から鍵束を持ち出して来ていた。あまりに多くの鍵がついていたので、一つ一つ試していくのにはかなり時間を要してしまうかと案じられたが、ルルアの導きか否か、エクリティスが3番目に差し入れた鍵で鍵穴はがちゃりと音を立てて回った。
 ぎぎぎと重い音を立てて扉が内に開くと、中は完全な闇だった。人の気配も勿論ない。アルフォンスは邪魔なフードを跳ね上げると、

「わたしが先頭に立とう。エク、おまえはしんがりにつけ」

 と言ってエクリティスの手からランタンを取り上げた。
< 52 / 67 >

この作品をシェア

pagetop