炎獄の娘

32・失望

「この路地では誰に見られるか判らないし身を護る場所もなく危険だ。門の中へ戻ろう」
「あの男はなんで死んだの。さっきまで気持ちよさそうに眠っていたのに、何か患っていたのかしら?」

 少し震えた声で問うスザナの手を引いてアルフォンスは男の死体を脇目に見ながら今出てきたばかりの図書館の裏門へ飛び込み、門番のいた小屋の陰に彼女を隠す。中に立て籠もるのもまた危険があると判断した。エクリティスとリッターもすぐに付いて来る。

「いいや、殺されたのに違いない。我々の侵入を許してしまったという事への罰……そして我々への見せしめも兼ねているのだろう」

 この、見計らったかのような瞬間に他の理由で死んだと考えるには、どれ程の偶然が重ならなければならないだろうか。アルフォンスは神経を集中させ敵の気配を探りつつも、スザナの問いには答えた。状況を知ってもらわねばという思いと、こんなやり方をする敵への憤りを吐き出したかった。ヴェルサリアの法に則っても、番人の男には死なねば償えぬような罪は何一つなかった筈。勤務中に部外者の侵入を許してしまった事に対する罰は、実害もなかったのだし、せいぜい露見すればいくばくか減給される程度の事に過ぎない。

(わたしのせいだ……わたしさえ来なければ、あの男は死なずに済んだのだ。家族もあったろうに……)
「アルフォンス様のせいではありません。それを思うならば、直接眠らせた私の方に咎があります」

 まるで心の声が聞こえたかのようにエクリティスは、あるじに背を向けて別方向からの敵襲に備えながらきっぱりと言った。こんな時にアルフォンスの考えが行き着くところは、その瞳を見すらしなくとも、ほんの僅かな息遣いや声音で易々とエクリティスには想像がつく。それ程に深く結ばれた主従の絆だった。

「そなたに命じたのはわたしだ。そなたに咎はない」
「ありがとうございます。私にもアルフォンス様にも咎はない。あるのはあれをやった者のみです。お忘れなきよう」
「……そうだな。すまん」

 エクリティスは必要な時に最小限の言葉で今何が一番重要な事かを思い出させてくれる。勿論、逆の立場になる事も多いが、実弟と不仲なアルフォンスにとっては、兄弟以上の信頼を置ける腹心中の腹心だった。



「さっきから何を言ってるんですか。敵はどこに潜んでいるのか、はっきりと解りますか」

 リッターはきつい表情を浮かべて既に剣を抜いている。何がどうなっているのかさっぱり理解していない分、彼の焦りは大きいようだった。

「少なくとも敵の数は多くはない。ひとりかふたり……だが、潜む場所ははっきりとは解らない。こんな事は初めてだ。もしかしたら……」

 スザナを護るように男三人は背中合わせに立ち、気配を探る。アルフォンスの返答にリッターは眉をひそめ、

「もしかしたら?」

 と問い返す。

「曖昧な事は言いたくないが、考えに入れておいた方がいいかも知れない……敵は魔道を使っているかも知れない」
「馬鹿な! 人を襲う為に魔道を用いるのは禁忌中の禁忌です」
「そうだ。だが既に、我々の常識を覆すような事がいくつも起こっている。僅かな間に我々のすぐ傍であの男を殺し、その居場所を窺わせぬ敵。可能性は高い」
「それでは、我々には手が出ません。こちらに魔道の使い手はいないのですから!」
「…………」

 もしも相手が魔道を用いて殺す気で来るならば、とっくにそれは終わっている筈である。そもそも、こんな人目に立つかも知れない場所ではなく、あの地下でやっていた筈。これは単なる警告……そう、願うしかなかった。



 スザナを囲んだこの輪の中で最も弱いところはリッターである。腕は磨いているのだろうが、まだ青い、とアルフォンスにもエクリティスにも感じられた。剣の柄を握る手は汗で滑りそうである。一方、アルフォンスとエクリティスはまだ抜いてはいなかった。どの方向から攻撃が来るか解らぬうちは、迂闊に抜かぬ方が構えやすい。



「…………ッ!!」

 唐突にそれは来た。閃光に似た軌跡が空に描かれ、その出所を見るいとまもなく、鞭のようなもにリッターの剣は絡め取られ、あっという間に敵に奪われた。

「リッター!!」

 が、空手になったと見せかけてリッターもやられっ放しではなかった。懐に隠していた短剣をすかさず、愛剣が呑み込まれた場所に向かって投じる。

「くっ!」

 物陰から呻き声があがり、リッターの剣は土の上に投げ出された。エクリティスは瞬きする間も与えずに駆け出すと、闇のなか、木陰に潜んでいた男を引きずり出した。

「印を結ぶ間を与えるな!」

 スザナを護りながらアルフォンスは叫ぶ。エクリティスは男の腕を背後に締め上げた。

「きゃっ!」

 アルフォンスの意識が僅かにスザナから逸れた瞬間に、もう一人の敵が頭上の大枝の上からスザナ目がけて飛び降りて来た。勇ましい事を言っていたスザナだが、女騎士の称号を持ってはいても、実戦を経験した事などない。命を賭けたやりとりに彼女の足はすくんでしまっていた。

「スザナ!」

 アルフォンスは咄嗟に彼女を地面の上に突き飛ばし、代わりに敵の振り下ろした棒状の武器を、振り向きざま抜いたレイピアで受け止める。かんっと乾いた音が響き、敵の武器ははじき飛ばされたが、勢いが激しかった為か、レイピアも半分に折れて飛ぶ。アルフォンスはレイピアを投げ捨て、後退する敵に向かって走った。敵はそれに気づき、何かの魔道の印を結ぼうとする。が、アルフォンスが放った短剣がその二の腕に深々と刺さると、男はだらりと右手を下げた。体術の争いになれば魔道士に全く勝ち目はない。マントを翻して逃げようとする男をアルフォンスはあっさりと捕らえて押さえ込んだ。



 エクリティスは捕らえた男を縛り上げ、軽々と引っ張って来た。アルフォンスが捕らえた方がやや年かさなようで、二人の間で指揮権を持っている様子だった。闇に紛れるようすっぽりしたマントで頭からつま先まで覆っていたが、そのフードを上げて顔を見ると、想像通りアルマヴィラ人の黒髪と黒目を持っていた。

「先程地下で襲ってきた賊と同じ者ですか」

 リッターが尋ねたが、アルフォンスは首を振り、

「さっきの賊の顔は見なかったが、雰囲気が違う。武器も違うし、別口だろう」

 と答える。あまり地下での事に言及されたくなかった。この者達はダルシオンの言った『ヴィーンの闇』の配下に違いないだろうが、ここに現れたという事は、ダルシオンが地下に来た事、話した事を知っているのだろうか。万が一、地下で鍵を開けたと思い込んでいるならばその誤解を、他の者には分からぬように解かねばならない。だが、恐らくそれはないだろう。もしもそうなら、もっと本気で、殺されたと解らぬ手口で殺しにかかってきている筈だ。このやり口は、庭園で襲ってきた男と似ている。尤も、あの男は魔道は使わなかったが。

 年かさの男がもう一人に目で合図を送るのを見たアルフォンスは、庭園の男のあっさりした死に様を思い出し、慌ててエクリティスに、

「自害するかもしれん。口に何か詰めておけ」

 と叫ぶ。エクリティスはすぐに男に猿轡を噛ませた。同時にアルフォンスは年かさの男に早口で告げた。

「自害は許さぬ。これ以上死体が出れば、そなた達も不都合があるだろう」
「では……お見逃し下さるので?」

 押し殺した声で男が問い返す。

「話によってはな」

 怒りを堪えてアルフォンスは応えた。そう言わねば、庭園の時と同じ事が起きると容易に想像出来たからだ。

「話とは何でございましょう? 我々がこのような行動に出た理由は、聡明な殿下には既にお解りの筈」
「警告か」
「そうです。まさかこのような街中で大貴族の方々の御身を本気で傷つけるなど出来よう筈もありません。ただ、特に、ブルーブラン公殿下には、ことの重要性をご理解頂けていないご様子でしたので、いざとなればどのような事が起きるか、お知らせ申し上げるのが務め、と考えたまででございます」

 男の目は冷たく、声には何の抑揚もない。

「我々の会話を魔道で盗み聞いていたという訳か」
「はい。しかしあまり我々の魔道を警戒なさらずとも、こんな王宮から近い場所では、大きな魔道は全く使えませぬ。せいぜい、身を潜める為に微弱な結界を張る程度。でないと、王宮魔道士に感知されてしまいますから」
「そうか」

 確かにそれは信じてもよさそうな話だった。だがリッターは憤りを隠さずに、

「重要性を理解していないとはどういう意味だ。大貴族が殺された、という以上に重要な事など、そうそうないぞ。魔道を操る胡散臭い輩からいかに脅されようと、納得がいかぬ限り、私は怯まぬ」

 と男を睨みながら吐き捨てるように言う。

「そうですか……残念です。まだお若いのに、グリンサム公殿下と同じ末路を選ばれるとは」

 男は嘲笑する。明らかな挑発だったが、かっとなったリッターは男を殴りつけた。リッターの意外な気性の激しさに軽く驚きつつもアルフォンスは、血が滲んだ口元を拭う男に向かって、

「他家の人間を巻き込むな。彼にはこれ以上関わらせない事を、わたしの名誉にかけて誓う。戻ってそなたのあるじにそう言え!」

 と言った。驚いたリッターは、

「こやつを放してやるつもりですか! 絶対に反対です。金獅子騎士に身柄を引き渡し、拷問してでも口を割らせるべきです」

 と主張する。

「拷問など無駄だ。そうなると解ればこやつはすぐに自害してしまう」
「そう出来ないようにする方法を、尋問を得意とする者達は知っていると聞きます」
「この者は魔道士だ。常人には想像もつかない、己を葬る方法を身につけているだろう」
「それでも、このまま放してやるよりはましな筈です!」

 リッターは男ではなくアルフォンスを睨み始めた。

「何故そんなにこの男を放したがるのです? アルマヴィラの民だからですか」
「リッター! 言い過ぎでしょう!」

 スザナが口を挟んだ。

「わたくしはもうこんな事はまっぴらだわ。その男を放せばこれ以上おかしな事は起きないとアルフォンスが言うなら、そうすべきなんだわ。エーリクは運命に抗わずに死んでいった。だからわたくしたちももうエーリクをそっとして、秘密を暴いたりするのはよすべきなんだわ!」
「スザナ、それでは何の解決にもならないではありませんか!」

 リッターは心底呆れた風に叫んだ。

「貴女までそんな事を言うんですか。失望しました……アルフォンス、あなたにもです」

 更にリッターの口から容赦のない言葉が飛ぶ。

「あなたを尊敬していたのに……暗殺行為の真実を暴くよりも、魔道を恐れて保身を先に立てるとは、あなたも結局それだけの人だったんですね」
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