ホットケーキ
第十三章 『芯』
大沢君はいつもと変わらず白いご飯を美味しそうに食べていた。友人達の近況の中に思う色々なこと、長いこと付き合っているのに踏ん切りがつかない彼女とのこと、最近大きな検査を受けた父親の話や実家の話。そうやって普段と変わらない大沢君の様子に、湖山の張りつめたものも少しずつ緩み、焼肉屋を出るときにはやっと湖山も笑顔を見せた。
多分大沢君は分かっているのだ。菅生さんが視界に入るたびに湖山の集中の弓が緩む事も、ROMを届けに行く日にいつもどこか浮き足立っている事も。もしかしたら、その事で一つ前の恋が終わってしまった事すら。いつからか湖山の胸の中にほぐれない糸があり続けて、解こうとしたらまた結ばってしまうみたいな、そんなおかしな恋を一年半も続けているその事を。


焼肉を食べて最終に近い電車で帰った湖山は、水槽にぱらぱらと餌を振って、またぼんやりと水槽を眺めていた。息せき切って席に着く菅生さんの姿が目にちらつく。水槽の中を熱帯魚が何か自分の気持ちの振れ具合と共鳴するように行ったり来たりしていた。湖山は何十分でもそうしていた。青い水槽を見つめながら彼は不意に写真のことを思い出した。この一年間撮り続けてきた休日の写真がいい加減溜まっていたのを整理してみようと思っていたのだ。いまがその時だと思った。写真を整理しながら、うまくすれば自分のこの気持ちにも整理がつくかもしれない。


青葉の美しいトンネル、まぶしい光の中に戯れる子ども達、宇宙船の忘れ物のような遊具、一年の内ほんの一ヶ月だけ異次元になるような真夏の海、そしてそのポケットが閉じた後の砂浜、燃える紅葉が囁いている冬の訪れ、寺社の白壁が続く道、冬の中に閉じ込められてしまった光のページェント、極楽の入り口のような梅林・・・。

どうして、彼女に惹かれたんだろう。
どうして、こんな風に想い続けることができたのだろう。
彼女に抱き続けてきた幻想を一枚、一枚と剥いでいったら、一体何が残るのだろう。


それを見てみたい、と思った。何が残るのか、見てやろうじゃないか。あの日に始まった自分の恋は「幻」に対する恋だったかもしれない。自分が作り上げた菅生さんという幻に対する恋。でも、この恋心は、幻ではない。幻に抱き続けたホンモノの恋心だ。一枚一枚剥いだ先に僕は何を思うんだろうか?青いトンネルの向こうに見えるもの、遊具に戯れる自分の想い、波間に浮かぶ何か、砂浜に埋められたもの、訪れる足音、その道の先に閉じ込められたもの。そして始まるもの。

この写真を見てもらいたい。彼女に。そして伝えよう。君の幻に恋してきたのだ、と。君の手で、この幻を一枚一枚剥いでいって欲しいのだと。幻を剥いで行った後に残る本物の君の芽を、僕は慈しむことができるのだろうか、それを知りたいのだと。


ひたひたと、彼の素足が床を鳴らす。静かな夜更け。たった一人でいることに慣れ過ぎてしまった。湖山はグラスに一杯の水を飲んだ。
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