ホットケーキ
第十六章 『鍵』

「ごめんなさい、湖山さん、寝てました?」
大沢くんの遠慮がちな声が聞こえる。
「あぁ、いや、うとうとしてただけ」
「そういうの、寝てたっていいます。スイマセン、ちょっとだけ時間ください。
あの、XX社のROMの件、どうします?先方に連絡したら火曜日でも良いっていってました。どうせ三連休だからって。」
「あー、うん・・・。うーん、でも、お前に任せてもいい?向こうさん、三連休だからこそ早めに欲しいと思うから。」
「ハイ、分かりました。じゃあ、今日チェックしてROMを提出したら直帰でそっち寄ります。後でまた電話しますね。」
「ほんと、悪いな。ありがとな。」

さぁ、一回休み。1しか出ない双六のような恋だ。

ベッドの上に起き上がる。つらつらと双六について考える。スタート、デパートの屋上、1が出て進む、事務所、菅生さんを見る、一個進む、1が出て進む、菅生さんを見る、一個進む、1が出て進む、菅生さんいない、1が出て進む・・・菅生さんチームに入る、5つ進む、菅生さんに娘、ふりだしに戻る・・・。

なんか、サイダーが飲みたい・・・。大沢くんが買ってきてくれた袋に何か入ってたっけかなあ?冷蔵庫にビニール袋のまま押し込んだのを出して、がさごそと中身を確認する。

あいつ、かあちゃんかっつうの。

中には、おにぎり、サンドイッチ、プリン、ゼリー、りんごジュース、野菜ジュースなどが入っていた。

あー、サイダー、飲みたい。

沢山寝たら、すっかり良くなった気がする。コンビニまでサイダーを買いに行くか、と財布を持って玄関まで行った所で、鍵が無い事に気付いた。鍵は・・・?大沢くん、持ってッちゃった?
携帯の履歴ボタンを押す。[オオサワ] でも・・・仕事中にかけるほどのことじゃぁない。家を出るな、ってこと、おとなしく寝てろってこと、そういうことだ。クリアボタンを押す。湖山は廊下を戻りリビングのソファーに横たわった。テレビをつけると教育テレビが掛かった。子どもの頃に風邪を引いて休んだ時のことを思い出した。天井の模様を飽きずに眺めていた、熱っぽく、だるい、蒲団の中で。湖山は番組を耳で観ながらまたうとうとと眠りに落ちて行った。

電話が鳴っている。大沢くんだ、出ないと。眠りすぎたんだろうか、かったるい。電話に出ようとしたとき、呼び出しベルが切れてしまった。履歴を確認してみるとやはり大沢くんだった。2度も掛かってきている。気付かずに寝ていたのだ。掛け直そうとした瞬間、またベルが鳴った。

「はい」
声が掠れた。
「よ、よかった・・・!湖山さん、倒れてんのかと、思った・・・!」
「いや、大丈夫。寝てた。ごめん、電話出れなかったんだな。気付かなかったんだ」
「いや、生きてるならそれでいいです。何か欲しいものありますか?今駅です」
「ある。サイダー。サイダーが飲みたい。おまえさ、鍵持ってった?」
「持って出ましたよ。湖山さん、必要ないでしょ?鍵を俺が持ってるって気付いたってことは、出ようとしてたんですね?」
大沢くんの歩調に合わせて、声もバウンドするように小さくなったり大きくなったりしながら聞こえる。
「サイダーが飲みたかったから。」
「サイダーが飲みたくて、買いに出ようとしてたんですか?我慢できなかった?分かりました。直ぐに買って帰りますよ。他にありますか?」
「ない。」
「サイダーだけね?了解です。飯は、うどんかなんか、店屋もんでいいですか?コンビニも飽きるでしょ?」
「うん、うどん、いいな。」
「おっけぃです、じゃ、後で。」

ほんと、かぁちゃんみたい。ソファーの上に体を起こす。つけっぱなしのテレビは手話ニュースをやっていた。
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