ボレロ - 第二楽章 -

4. lento レント (ゆるやかに)



街路樹の新芽が目に眩しく、加えて初夏を思わせる気候に薫風 (くんぷう) 

の言葉を思い出した。

ゆっくりと過ぎていった春、 気温の上昇と共に一気に夏へと向かっていく

のだろうか。

一斉に芽吹いた木々に目をやり気持ちを季節に乗せながら、私は緊張する心を

少しでもほぐそうとしていた。

ビルの周辺に配置された木々は、無機質なビルの壁面に彩を添え見事に調和

している。

あの一角に彼のオフィスがある。

そう思ったとたん、近づいてくる本社ビルの姿が急にリアルに感じられ、

一気に鼓動が高まってきた。


気持ちを落ち着かせようと、右の薬指にはめている指輪を左手でなぞる。 

仕事中は自社ブランド以外の製品を身につけることはないけれど、

今日は特別。

彼が選んで贈ってくれた指輪が一緒なら大丈夫と、自分に言い聞かせ玄関を

目指した。





玄関ホールに入ると、受付嬢の視線が柔らかく、けれど見定めるように飛んで

きた。

彼女達に気付かれぬよう、ゆっくり深呼吸をしてから背筋を伸ばし、右足を

大きく踏み出した。



「君の名前を言うだけで、俺の部屋に通すように言っておくから、

安心して来るといい」



彼の言葉通り、どんな用件であるかなどまったく聞かれもせず、受付嬢の

一人にエレベーターへと案内された。

シースルーの個室から吹き抜けになっている中庭が見え、そこは坪庭のような

日本庭園を思わせる造りになっていた。



「竹林が見事ですこと。緑が目にも鮮やかですね」


「新芽の季節を迎えておりますので、竹林の青さも際立ってまいりました」


「ビルの中に日本庭園をしつらえるなんて、素晴らしいですわ」


「外国のお客様にも、大変喜んでいただいております」



にこやかに受け答えをこなす女性に好感がもてた。

会社にはそれぞれに社風と言うのがあるが、彼女達の対応で彼の会社の

気風がわかるようだった。


「古いわりにはわりとのんびりしてると言われるよ。

商売もゆったりしたものだからね」 と、彼は言うが、

このご時勢に、ゆったりと事業をこなせる企業などそうあるものではない。

口で言うほど穏やかな経営ではなく、大きな組織ならではの困難も抱えて

いるはずなのに、そうは見せない余裕がみえる。

それは、彼の会社には揺るぎなく存在する信用があるからだろう。

商売などと、一言でひとくくりにできるような事業ではなく、いくつもの

子会社や関連企業があり系列会社だけでも相当なものだ。

グループ企業の強みで相互扶助があるとは言え、母体がしっかりしているから

こそ手を差し伸べられるのだ。


それらを束ね、利益へと導く本社の中核に彼はいる。

近衛宗一郎は、そんな中に身をおいているのだ。

目指す階へと近づくにつれ、私はとんでもない人と関わりを持ってしまったの

ではないかとの思いが強くなっていた。



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