涙の跡を辿りて
  そう言うなり、ディオヴィカはケセの身体に回していた手を解いた。
 余りに心地良かった抱擁。感触はまだ身体のあちこちに残っている。
 肌の温もり。それがこんなにも心地良い。
 ぱたむ、と、扉が閉まった。
 ディオヴィカに礼を言う事を忘れた事に、ケセは気付き、慌てた。
 僕のお腹の心配さえしてくれる女王様。
 ケセはディオヴィカの事が好きになった。畏怖の念ではなく、自分を抱き締めてくれた存在として愛するようになった。
 そして、すぐさま扉が開かれる。
 銀の台車に、料理が山のように並んでいた。
「そなたの好物が解らぬ故にの、色々と作らせてみた。シンシンリーの恵みじゃ。つまりは妾が恵みじゃ。存分に味わうが良い。ところでそなたは焼き菓子や林檎のジュースは嫌いなのかえ?」
「え?」
 目の前の料理に心奪われていたケセの反応は、自然、一テンポ遅れたものとなる。
「焼き菓子と林檎ジュースじゃ!」
「ああ、あ、あの、つまみ食いはしてはならぬと父からきつく戒められておりますので」
 慌てて答えるケセに、ディオヴィカは言う。
「妾は戒めた覚えは無い。なのに手をつけぬとは、無礼である。嫌いなものなら仕方ない。妾も嫌いな物がある故にそなたを戒めるは間違えであろう。じゃが、嫌いでなければ食えば良いのじゃ。遠慮する事は無い。そなたは我が愛し児ぞ」
「はい!」
 ケセはかちこちに固まった身体で、いつのまにか部屋の真ん中に出現しているテーブルを見やり、驚いた。そしてそのテーブルには先程運ばれてきた料理が所狭しと並んでいる。
 テーブルなどいつの間に持ち込んだのか、それも精霊の魔法かと、ケセは感嘆する。
 あの問答の間に、すごい!
 料理の匂いに、ケセの腹が鳴った。
 あれは、ケセが生き延びる為に食べていた固くなったパンや野菜くずのスープではない。
 ご馳走だ。
「あれ、本当に食べても良いのですか?」
 貴族が施しを受けるなどと、そう言っていた父の言葉を忘れられない。そして、その後に続く『お仕置き』も。
 しかし、ディオヴィカは笑う。
「遠慮は無礼。もてなされる側はただ『有難う』を言えば良いのじゃ。無論、あれはそなたの為の食事じゃ。好きなだけ食え」
「有難うございます」
「そう、それで良い」
 ディオヴィカが笑ったので、ケセは嬉しくなった。もっと、もっと笑って。
「しかし、そなたのような子供に『晶花』を摘ませようとは、考えただけで恐ろしい。腹を痛めた訳でもない妾が、こんなに愛しく思える子供を」
 ディオヴィカの囁きは余りに小さく、ケセの耳には届かなかった。
 ディオヴィカは、床を突き抜けて現れる椅子に吃驚しながらもその椅子に座るケセを見やる。
『晶花』。
 本当に、ケセが犠牲にならなくて良かった。
 ディオヴィカは神々の間でさえ貴重とされる植物を思う。
 魂の色。それを知る術。
 ケセの両親はそれを知っていた。そしてその代償をも。それの持つ意味を知っていて、その上でケセに『晶花』を摘ませようとした。
 それが、ディオヴィカには恐ろしい。
 その時、ぱたぱたと足音が響いた。
《ディオヴィカ様ー》
 呼んだのは、不思議な髪色の少女。濃い茶色と深い緑のまじった髪の色した、ケセより少し幼い子。その長い髪が、とても美しい。
 どきん、と、ケセの胸が高鳴った。
 この子は……!
 一瞬で心全て持っていかれるような気がした。ディオヴィカにさえ、感じた事の無い感情。それがどういう意味を持つのか、その時のケセには解らなかったけれども。
 少女はディオヴィカの肩越しに、ケセを見ていた。深緑の瞳。その瞳に、ケセは捉えられる。
「ケセ、これをお食べ」
 そう言って、ディオヴィカはケセにおいでおいでをした。
 食べ始める前で良かったと思いながら、ケセは椅子を立ち、ディオヴィカの許に急ぐ。
 少女は、隠れようとせんばかりに身を縮める。それがケセには悲しかった。
 ディオヴィカの手に乗っていたのは太陽を溶かしたような金色の飴であった。
「そなたには精霊の言語が解らぬ事を、すっかりと失念していた。よく舐めて口の中で溶かせ。良いか?」
 こくりと、ケセは頷いた。喋らなかったのは、貴族たるもの口に何か入れたまま話すなどとは言語道断だと躾られていたからだ。
 やがて、飴が口の中で溶けきった。
《これで良いのですか? ディオヴィカ様。何だか、普通に喋っているのと、全然変わらない気がします》
《そなたは精霊の言語で話しておる。飴は一日しか保たぬ故、毎朝これを舐める様に。》
《有難うございます。ディオヴィカ様。ところで、その後ろの女の子は?》
 ケセの言葉に、少女だと思った子供は怒鳴った。
《ヒトカはヒトカだ! 女の子じゃない!》
《精霊に性別はないのじゃ》
ぽかんと口をあけるケセは、一瞬間を置いた後、ヒトカに謝った。
 ヒトカはディオヴィカの背後に完全に隠れてしまう。
《この子も我が愛し児ぞ。名はヒトカ》
 初めての邂逅。
 永遠が始まった瞬間。
 全てが始まったのは、ここからだった。
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